FUJIYOSHIDA DIARY MAGAZINE

コミュニティ

原田 陽子

2021.06.15

流しの洋裁人の「流れるママ日記」 04

3年以上続けてみること。

今日は「3年以上続けてみること」について書いてみます。

「逃げることも大切」という言葉に甘んじないようにしている私は、命の危険でもない限り、始めたことは3年以上続けることにしています。習い事も、中高の部活も。なんとか3年は、続けてみました。

「仕事で何かを成すには、その道で10年以上はかかる」

新卒で岐阜への就職が決まった時に父親から言われた言葉は10年でした。「3倍以上やん…」

正直なところ「なっが。そんな10年もかかったらいつ結婚すんねん。いつ子供産むねん。なんとか3年くらいで何かしら成果だすぞ」と息巻いておりました。

結婚=キャリアの中断=負のイメージなわけです。

当時の私には結婚したらキャリア的に負けというイメージが付きまとっておりました。専業主婦の母をみて育ち、大学に入ってからもバイトはせず一心不乱に学業に専念していたため、さまざまな人とのつながりがなく、他の価値観が入り込む隙間もありませんでした。価値観の孤立をしていたわけです。

そうとは知らずに岐阜で初めて「働く」経験をします。

みごと「玉砕」です。

それまで割と挫折なく生きてきて「やればできる」と信じており、叶えていました。しかし仕事となると別。組織で仕事をするということは、他人との価値観のすり合わせを永遠にし続けなければなりません。まして自分の就いた「営業」とは、「自社の都合と他社の都合を折衝し、成果を出し数字を上げる役目」だったのです。自分の思いだけでは何ともならない。周りの人からよしとされて、はじめてお金を頂ける仕事となるのです。

そんな玉砕を経験しつつもその会社で4年、兵庫の大学で5年、京都の大学で1年働き、4年前からはフリーランスとなりました。3年未満の所属もありますが、〈流しの洋裁人〉の活動がもうすぐ7年目に突入し、服に関わる仕事という意味では、15年目に突入します。なんだかんだ10年を過ぎました。

いまだに「自分の思い」で走ってしまうことも多々ありますが、最近はようやく周りと合致できたんじゃないかと思う仕事もできるようになりました。5月の節句の際には、「若いお母さんたちにとって身近になるような鯉のぼりの開発」というお題をご近所の春木屋さん(富士吉田のお茶屋さんで冬~春は雛人形や5月人形を販売されている)に頂き、販売させていただきました。

そして6月に入ると、「地域の人や観光客の方に地元の織物産業の価値を知ってもらいたいからウィンドウを使って」とまたお題を頂きました。富士吉田に移住して4年目。ようやく自分の思いと地域の人の思いが合致した仕事ができるようになってきたことが、とてもうれしいです。続けてきてよかった、住み続けてよかったと日々をかみしめながら仕事をしています。

5月に販売した春木屋さんの「大五郎こいのぼり」
地域の織物をメインに使ったこいのぼり

6月からの春木屋さんのウィンドウ
地元の織物を使った商品や流しの洋裁人の服を展示販売している

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原田 陽子

流しの洋裁人

1984年晴れの国岡山生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業後、岐阜のアパレルメーカーの営業職に。「服は機械で自動生産されると思っていた」を耳にしたことをきっかけに、全国各地へミシンや裁縫道具を持参し、その場にいる人を巻き込みながら洋裁の光景をつくる活動を、2014年9月から開始。現在、山梨県富士吉田市にベースキャンプを構え、全国へ流している。洋裁という行為を媒介に、人や場、文化の廻船的役割を担うことを目指している。

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