FUJIYOSHIDA DIARY MAGAZINE

コミュニティ

原田 陽子

2021.01.05

流しの洋裁人の「流れるママ日記」 02

今回は「私が服作りに興味をもったきっかけ」を書きます。

私が18歳まで育った場所は、人口一万人強の非常にのどかな場所です(第一村人発見まで多分小一時間かかります)。

ジーパンと制服の産地で

岡山県の南西部に位置する岡山県小田郡矢掛町。学生服とジーパンの産地で有名な備中・備後の近くです。

土地柄か、近所の遊び場の境内の隣には、近所のおばちゃんが集まってジーパンの縫製をする場所があり、そこに私もよくあがりこんでは、お手伝いという名の邪魔をしていました。

母の手作りの服を着る生活

母は、家族で食べる分の野菜を育て、庭に花を植えるのが趣味の専業主婦で、ミシンもある程度できました。私が小学校低学年で「みんなと同じように伸びる生地の服を着たい(=スパッツをはきたい)」と発言するまでは、『こどもブティック』という雑誌を参考に、母がお出かけ着を作ってくれていました。

私の原風景には、布を服にする魔法使いの母や近所のおばちゃんの姿があったのです。

そんな魔法使いに憧れてか、小学校1年生で裁縫道具箱を買ってもらい、リカちゃん人形の服作りをスタートします。その後3年生くらいになると、押し入れから『子どもブティック』を引っ張りだしてきては、載っている服の製図を見て自分の服を作るようになりました。

さて、私が子どもに渡す原風景は

小さい頃に見る原風景は、その後の人生にかなり影響する気がします。
さて7ヶ月になった息子には、どんな原風景を見せようかなと考えながら、今日も隣でミシンを踏んでいます。

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原田 陽子

流しの洋裁人

1984年晴れの国岡山生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業後、岐阜のアパレルメーカーの営業職に。「服は機械で自動生産されると思っていた」を耳にしたことをきっかけに、全国各地へミシンや裁縫道具を持参し、その場にいる人を巻き込みながら洋裁の光景をつくる活動を、2014年9月から開始。現在、山梨県富士吉田市にベースキャンプを構え、全国へ流している。洋裁という行為を媒介に、人や場、文化の廻船的役割を担うことを目指している。

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