馬場 亮河

2025.06.25

ババイズム「自己紹介②」

今回の記事は前回に引き続き、自己紹介をさせていただきます。 

アメリカでは初めて現地の中学校に通っていました。

私立と公立の両方に通ったことがあるのですが、公立中学校は特にクレイジーでした。

様々な社会的背景を持つ人たちが集まり、多様な宗教やセクシャリティ、価値観が思春期と交差する公共教育施設はまさしくアメリカという社会の縮図でした。

まさに映画で見るように真っ黄色なバスで登校し、青いロッカーが並ぶ廊下で人気者のチアガールとアメフト選手とすれ違い、教室へ入っていきます。

しかし、学校生活の内実は平和なラブコメではありませんでした。

メキシコ系のギャング集団に手を染めて命を落とした友人や、お金に苦しんでいたチームメイトにみんなでお金を出しあってサッカーシューズをプレゼントしたり、強烈な思い出がたくさんあります。

でも、やっぱりクリスマスやハロウィンなどキリスト教にルーツを持つイベントで家族や友達と盛大にパーティをするのは、子供ながらにスペクタクルで幸せな瞬間でした。

クレイジーで言うと、インドのニューデリーで通ったインターナショナルスクールも負けていませんでした。人口増加と経済市場の急成長により、世界中から人が集まっていたその学校には社会階級で言うと”上流”に位置する家庭が少なくありませんでした。

運転手や家政婦は当たり前で(いわゆる家事使用人を雇うことはある種のマナーとされていた)、毎朝ベンツで通っている友達もいました。

学校は二重のゲートで仕切られていて、外に出ると腕のない人やボロボロの服を着た子供達が暮らすスラム街が広がっていました。

後から聞いた話ですが、腕がないのは、通行する車に食べ物やお金を要求する際に同情を生むためだそうです。

そんな街の風景を通り過ぎて学校の帰りに向かう先は、エレベーター付きの一軒家に住む友達の家でした。

「このままここで過ごしていたら何かよくない」と感じた僕は、日本の私立高校を受験し、1人で日本へ帰ってきました。

日本在住歴9年目になりますが、海外在住歴の方が長いのかぁ、と人生の長さにため息がでます。それと同時に日本にはまだ知らないことがたくさんあるので、とてもエキサイティングです。

インド時代(中学生)

長々と書いてしまいましたが、幼少期の経験談をもって自己紹介とさせていただきました。

まだまだ記憶に残っているエピソードがたくさんありますので、どこかしらの機会でシェアできたらと思います。

次回は、現在取り組んでいる地域おこし協力隊の「アーカイブ」活動についてお話し出来ればと思います。

それでは失礼します。

現在

記事一覧へ

馬場 亮河

富士吉田市地域おこし協力隊/東京大学大学院生

出生地
コロンビア

プロフィール
大学のフィールドワークではじめて富士吉田市を訪れる。その後、大学連携のプロジェクトやHOSTEL SARUYAでの住み込みインターン、東京との二拠点居住の経験を経て2024年3月から地域おこし協力隊に着任。「アーカイブ」をテーマに地域の生活を記録・発信・研究するべく、フィールドワークに励む。

Contact

お問合せ

ご依頼やご相談については、お電話・お問い合わせフォームより
お気軽にお問合せください。

allright reserved youfujiyoshida 2024