今日は、富士吉田の高校生との出来事ではないのですが、
私の最近のことについてお話しします。
11月初旬、私は島根県に向かいました。
理由はふたつ。
①島根県にある3つの地域の教育の取り組みを見ること
②大学時代の友人に会うこと
島根県の取り組みの話は、また別の記事で書きますが、
今回は同級生に会ったお話を書きたいと思います。
本土から2時間半、フェリーに乗って、
今回の目的地、島根県海士町(あまちょう)に
到着しました。
海士町は、1221年に「承久の乱」を起こした
後鳥羽上皇が島流しにあった場所であり、
現在はまちづくりや教育の取り組みが
話題となっている地域です。
私が大学2年生になる前、当時付き合っていた彼から
「一緒に島に遊びに行こうよ」と
誘われたのがきっかけで、私は島にいきました。
はじめて島に訪れた時は、大学生を島に招き、
キャリア教育などをおこなうイベントに参加したり、
島にある旅館でインターンを経験したりしました。
その時に出会ったのが、
海士町出身の同級生、たっちゃんです。
いつもは静かな男の子ですが、
心のなかには島前地域(海士町・知夫里村・西ノ島町)への
熱い熱い熱い思いを持っています。
港でたっちゃんと再会を果たしてから、
海士町へ訪れるとかならず食べているランチ
「寒シマメ漬け丼(寒シマメ=するめいかのこと)」を
食べて、島に再訪したことを実感しました。
山梨県南都留で生まれ育った私にとって、
海産物がたくさんある海士町は、
天国のような場所です(笑)。
5年ぶりに訪れた海士町は、
風景もランチの味も当時のままでした。
大きく変わっていたのは、
たっちゃんの環境。
綺麗な奥さんがいて…
ベイビーが生まれて…
かっこいい犬も2匹飼い…
家も建てていたのです!!!
「たっちゃん、凄すぎるよ…」という
言葉しか出なかった私。
たっちゃんは、
「ローンという見えないものが肩にのっているんだよ」と
笑いながら話していましたが、
「この町で暮らしていくんだ」という強い思いで、
島で生まれた子どもたちが住みやすい町に
変えていくために、自分ができることをたくさん
取り組み行動していました。
その姿勢に、感激するばかりでした。
たっちゃんは今、「大人の島留学」というプロジェクトを立ち上げて実行しています。
これは島にある唯一の高校 「隠岐島前高校」の卒業生を中心とした全国各地の若者に向けて、中長期の就業体験ができる移住制度です。
詳しくはこちら▶︎ 海士町(あまちょう)ホームページ
http://www.town.ama.shimane.jp/topics/5000/212.html
仕事がない、後継者がいない、
といわれている島のこれからに対して、
「若者が参加しやすい・帰ってきやすい」きっかけを
提供し、「町で稼ぐ・働く若者」を増やす
プロジェクトです。
すでに現在20名以上の若者が、
地元の企業で働きながら、暮らしているようです。
(のりぴーもいつでも参加していいんだよと、
10回くらい誘われました(笑)
何気ない自然な勧誘と人生相談のうまさは、さすがです)
「50年計画で、島前地域でやってみたいことを
』実行していくよ」
今の取り組みも、たっちゃんのやりたいことの
きっかけのひとつであり、一部であるといいます。
自分が暮らす地域に対して熱い思いを持つ同級生の背中と、
子どもの前では優しいパパの背中。
どちらもかっこいいなと、思いながら、
私も頑張ろうと喝をもらった島での思い出でした。