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you FUJIYOSHIDA 編集室

2021.03.02

富士吉田移住のリアルライフ

「富士吉田市に移住した人は、実際どんな暮らしをしているの?」

「富士吉田移住のリアルライフ」では、富士吉田市で移住し、仕事・遊び・創作・自然派ライフを楽しむ人たちへの実録インタビューを連載していきます。

「富士吉田移住のリアルライフ」FILE.1 

 グラフィックデザイナー杉原悠太・杉原亜希子

左から:杉原悠太さん、杉原亜希子さん



TALK GUESTS

杉原悠太さん グラフィックデザイナー

東京都出身。東京の大学を卒業後、スリランカや韓国などでの海外生活を経て帰国。スリランカの孤児院で暮らす子どもたちの絵をテキスタイルにデザインし、販売収益を子どもたちの生活へ還元することを目的とした『Sri Lanka Textile Project』のディレクターを務める。

杉原亜希子さん

山梨県富士吉田市出身。大学進学を機に上京。東京で保育士を務めた後、結婚をきっかけに富士吉田市にUターン。

INTERVIEWER

渡邉麗さん〈ふじよしだ定住促進センター(FRPC)〉運営メンバー

山梨県富士吉田市出身。生まれも育ちも富士吉田市ゆえに誰よりも富士吉田市への愛が大きく、定住促進の企画や物件紹介などに取り組み、移住者を全面サポート。富士吉田市愛No.1の移住応援窓口を務めるFRPCのスタッフです。


「富士吉田移住のリアルライフ」FILE.1となる今回は、移住2ヶ月目の杉原夫妻です。本記事では、杉原夫妻と麗さんの対談インタビュー60分を、取材収録とって出しでまるまるお届けします。



富士吉田市に移住したワケ

– まずは、お二人それぞれが富士吉田移住を決めるまでの経緯を教えてください。

悠太さん:僕は2016年まで韓国に住んでいて、その年の4月に日本に帰国して、まず友人から「山梨県に移住しないか」と誘われたんだよね。道志村とか小菅村とか、人があまり住んでいないところに移住しよう、と。そこでいろんな役場に電話をして住む場所を紹介してくれるようお願いをしたのだけど、「紹介できる物件がないですね」と返答されて。そこで山梨県庁に電話で相談したところ、富士吉田市が移住に力をいれていると紹介されたのが最初のきっかけ。そこから僕の友人が富士吉田市に電話をしたら麗さんが出たのだけど、とても対応がよかったらしく「じゃあ電話の声の主に会いに行こう」と(笑)

麗さん:すぐに来ましたよね(笑)

悠太さん:それが4月だったのだけど、すごく晴れてて富士山に雪もまだ残ってていい日だったんだよね。その日の印象がとてもよかったので、「この街にしよう」って決めたんだ〜。あとは、定住促進に関するホームページやチラシなど、情報がたくさんあったから、こんな人がいるのか!と分かったし、物件もたくさん紹介されていてよかった。なにより、富士山のきれいさに惚れてしまったのが移住の理由なんだ。

亜希子さん:じゃあ、初めて富士吉田市を訪れた日が雨で富士山を見られてなかったら、移住してなかったかもしれない?

悠太さん:かもね。富士山をまともに見たことがなかったんだ。小さい頃、親父の実家の尾道にいく道中、東海道新幹線から一瞬だけ見えるはずなんだけど、「見てごらん!」と言われた時にはもう通り過ぎてしまった後でさ。みんながイラストで書く、青と白の上がプリンみたいになっている富士山を見るくらいしかなかったからから、それ以上の美しさがあるなんて考えたこともなかった。ここに移住を決めたのは、実物の富士山のインパクトが強かったからっていうのが大きいね。もともと、移住したらその土地に海外の友だちを呼びたいと思っていたんだ。人を呼ぶってなったら素敵な街に呼びたいっていう自分なりの基準があって。富士山麓の街だったら、間違いなくみんな喜ぶと思った。ビジネスチャンスが〜とかでなく、この景色を親しい人たちに見せたいと思った。


悠太さんの、二拠点生活時代

– そこから物件を探して、悠太さんは練馬区と富士吉田市の二拠点生活になったんですね。

悠太さん:もともと日本に帰ってきていても、東京で人の家に居候していたし、富士吉田市を訪れてここに住むと決めてからは、練馬区と富士吉田市の二拠点生活になった。実家も新宿区の曙橋にあるし、困らず色んなところを転々とさせてもらっていた。だから自分がポンッとどこかに移住することには慣れていてストレスはないんだ。自分の生活がどんな風に変わっていくかワクワクするし、変化が好きなタイプでさ。

亜希子さん:わたしは若い頃は大丈夫だったけど、今は変化することがあんまり得意じゃないんだよね(笑)。だからそこは夫婦で逆だよね。


– 亜希子さんは、富士吉田市生まれですよね?

亜希子さん:そう、富士吉田市で育って、大学進学に合わせて上京して。その後、東京で保育士をずっとやっていたんだよね。結婚して富士吉田市にUターンするまでは、21年間東京に住んでいたの。

麗さん:じゃあ、東京歴のほうが長いんですね!

亜希子さん:そうだね。東京の方が自分に合っていると思って住んでいた。みんな自由に生きているというか、他人とあまり干渉しない距離感がよかったような。長く住んだから友だちもたくさんできて、やりたいことも出来ていたから、ずっと住むのかと思っていた。


夫妻の出会い

-お二人が出会ったタイミングは?

悠太さん:僕が富士吉田移住を決めた年の夏に、訪ねてきた友だちと一緒に散歩をしていたら、たまたま出会ったんだよね。

亜希子さん:わたしはその時ちょうど体調を崩して、1ヶ月半くらい仕事を休んだタイミングで富士吉田市に戻ってきていたの。

麗さん:すてきー!ドラマみたいですね!

亜希子さん:出会った後、わたしは東京に戻って仕事をしていたんだけど、悠太くんも東京と行ったり来たりしていたから遠距離恋愛って感じでもなかった。お付き合いしていくなかで結婚についても話すようになって、結婚したらどこに住むか、という話を家族としていたら、悠太くんのお兄さんがその場で「二人の物件をさがそう」とネットで探し始めたんだよね。悠太くんは富士吉田市で暮らそうよって言っていたんだけど、わたしはまだ東京にいたかったの。都内だけど富士吉田市からも近いし、調布市がいいかなって。で、調布市に住み始めて、2年半のあいだ都内で新婚生活をしたの。


– 結婚後も、物件さがしをしていたんでしょうか?

悠太さん:親戚がいて土地勘がある尾道市への移住を考えたし、神奈川県、都内でも郊外の八王子市、あとは大月市とか松本市も考えたけど、東京から遠いと仕事が大変だから、周りの人たちに現実的じゃないって反対された。そうこうしていると結婚式をやることになって。地方から親戚をみんな呼ぶとなったら、僕らが出会った街と富士山を見せたいし、あっこちゃんの親戚もいるから富士吉田市に一箇所で集まった方が費用も時間も収まるよねって話になったんだ。

亜希子さん:わたしの叔父が亡くなったことも理由の1つで。親戚中で叔父のお見舞いに行くと、家族は富士吉田市に帰って、わたしたち二人は調布市に帰る。これまでお世話になった方がこれからもっと年を重ねていくとなったら、すぐに帰れないもどかしさや寂しさを感じはじめて。同時にコロナ禍に見舞われて、富士吉田市へいつでも帰れる距離だったのが、ぐんと遠くなってしまったように感じたの。


新天地での暮らし

そこから富士吉田市に移住を決めたんですよね。住み始めて2ヶ月くらいでしょうか?上吉田での新居ライフはどうですか?

悠太さん:上吉田は、下吉田と比べてまたうんと寒いね〜。水道管が破裂したので直してもらったら、洗濯機のとこも凍っていることがわかって。さあ、これでもう直っただろうと思って2階の蛇口をひねったら出なくて、そこも凍っていたんです。日中の間に3箇所も凍ってしまってびっくりした。下吉田に一人で住んでいた時は、1週間韓国にいて家をあけていて、帰ってきからトイレの便器が裂けて水が吹き出して、天井に氷柱ができていたこともあったんだ(笑)。

亜希子さん:今、富士吉田市内で引っ越そうかなと考えているんだよね。もともと、悠太くんの仕事部屋、私の作業部屋、客間、寝室と、最低4部屋は欲しいと思っていたので、広い家を探していたら現在住んでいる6LDKの一軒家が見つかって即決だったの。住んでいるとわたしたち二人のライフスタイルには十分すぎたかなと思って。今は、もう少しコンパクトな家に住もうかなと考えているところ。

悠太さん:6LDKの広い家だから暖房の電気代が思ったよりも多くかかるし、富士吉田市は水道代が安いはずなんだけど、水道管を凍らせたくないからって水も流したままで、水道代とかも含めると結構な額になっちゃっているかも。

富士吉田市で今、どんなことをしているか教えてください。

悠太さん:僕は自営のグラフィックやデザインなどの制作業務をしていて、これからも続けていきたいと思っている。あとは、人を呼べるイベントなどの企画をしたいんですよね。今は仕事10割の生活になってしまっているので、もっと富士吉田市らしい暮らしをしたいなって。

亜希子さん:”富士吉田市らしい暮らし”って?

悠太さん:僕の憧れかもしれないけど、東京での暮らしよりも、もうちょっとスローでいいだろうって。今日も思ったけど、朝寒すぎてまず起きられないのよ。起きてからも部屋があったまるまでは仕事が出来なくてね。プリンターを新しく買ったんだけど、理想運転環境が10°以上って書いてあって。あまり寒いとインクのノズルが凍っちゃうみたい。

麗さん:機械も人も、冬眠の時期ですね。

悠太さん:「昔の富士吉田市の人は、冬になるとほとんどなにもしないで過ごした」って聞くしさ。指とかが凍ってボロボロになっちゃったって……。その代わりに夏の数ヶ月めちゃめちゃ働くっていう。四季や土地の特色に合わせた暮らしをしていきたいなって思っている。大げさに言えば東京だったら朝起きがけですぐに仕事できるけど、富士吉田市では起きてから部屋があったまるまで30分、布団から出るか、でまいかのせめぎ合いで何も出来ない(笑)。暮らし方に違いがあるのは当たり前なんだよね。だから、東京ライフと全く同じことしていても代わり映えないなって。

亜希子さん:わたしは仕事に関しては、今模索中。寒いから趣味のお裁縫も指がかじかんで。でも昔から職人に憧れていて、失われてゆく伝統がなくなっていくことに寂しさも感じるから、手先をつかう細かい仕事につけたらなとは思ってます。

悠太さん:ここにしかない技術をもっている職人さんがたくさんいる街だから、何かみつかるといいよね。


富士吉田市でのこれから

– これから富士吉田市でチャレンジしたいことはありますか?

悠太さん:自然があるところは東京と違うところだけど、人との付き合い方が違うからそこ暮らしも変わるのかもしれない。都市部に比べて、家族や親戚と過ごす時間が長いし、東京ではできない働き方をしたい。富士吉田市の魅力を活かした暮らしって、いわゆるスローペースな生き方なのだと思うけど、それが成立する働き方、というものを僕はフリーランスや自営業という働き方の中で探しているかな。

悠太さん:あとは、夫婦でなにかをやれたらとは思っているかな、お茶屋さんとか韓国やスリランカの伝統茶はあっこちゃんも好きだしね。母親が漢方の薬剤師だし、自分も健康のことも気にするようになってきて、お茶の仕事ならどんどん健康になるような気もするし。

亜希子さん:お互い性格が違うから、夫婦でいいところを重ねて、何かひとつのことを一緒にできたらとは思う。あとは、地域のために何かをしたい。ボランティアでも。それが何かはまだわからないけど、人との関わりをすこしずつ増やせたらいいなって思うかな。

亜希子さん:あ、あとは免許とりたい!

麗さん:まだ持ってなかったんですね!ペーパーとかではなく?

亜希子さん:うん、東京にいたから持ってなくてね。本が好きだから上吉田から図書館まで歩いたりするし、暖かくなれば自転車でもいいんだけど、やっぱり車あれば生活が変わりそうだと思って。


– これから、いいお家がみつかるといいですね!

悠太さん:ちょうどいい寸法の家をみつけるのは時間がかかるかもね。

亜希子さん:部屋数が多いし、広いから掃除機もかけやすくて今の家に不満はないんだけどね。

麗さん:最初に賃貸に住むことで、どんな間取りとか作りの家があっているのか、勝手が分かってよかったかもしれませんね。

夫妻:本当にそう!

悠太さん:古い売り物件を買えたら、住んでいて変えたい箇所がでてきたら自分たちでいじれるなあ。

亜希子さん:レトロな木造で、直したいところだけ直せる家に住みたいっていうところは二人で共通しているところなの。

夫妻:麗ちゃん、お家さがしでまたお世話になります!

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〈ふじよしだ定住促進センター〉スタッフ

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