令和元年(2019年)の春から、富士吉田暮らしを考えるウェブメディア「0555」にて、
新しい連載が始まりました。
富士吉田連載「この街の主役は、わたしたちだ」
“街をつくるのは、人だ”
富士山の麓、雪どけの澄んだ水に恵まれて、機織りの街として栄えてきた山梨県富士吉田市。この街には、富士山0合目へと続く商店通りを中心に、人々の暮らしと営みが広がっています。富士山を目指す人々の羽を休める宿場として、機織りを営む人々の社交場として、あらゆる物語の交差が生まれてきたこの街では、今でもずっと、あらゆる出会いが生まれています。だけど、だからこそ、新しく引き継がれていく場もあれば、なくなってしまう場もあります。
そこで0555編集部は本連載を通して、この街で「場を営み続けてきた人たち」や「これから場を生み出していく人たち」を、いつまでも色褪せることのない街の記憶として記録し、新たな営みが生まれるきっかけを紡いでいくことにしました。この街に広がる「どこにでもありそうで特別な笑顔」は、これからもこの街をつくる唯一の主役です。みんなに会いに、富士吉田市に遊びにきませんか?
#003では、
富士吉田市でおよそ50年にわたりレストラン 〈M-2〉を営んできた久保田公子さんを紹介します。
「富士吉田市で、50年昭和レトロな憩いのランドマーク」
レストラン〈M-2〉のカウンターで、364日コーヒーを淹れ続ける赤髪のマダムは、久保田公子さん。ロックバンド「フジファブリック」の元ボーカル志村正彦さんも愛した、心の休まる時間とスピーカーからラジオが流れる店内は、人々の寄り合いの場所です。
「身体が動くうちは働くよ!」とカウンター越しに笑う赤髪の久保田公子さんは、12/31以外364日このお店でコーヒーを淹れています。かすれたラジオと〈フジファブリック〉のボーカル志村正彦さんが愛した「大根パスタ」、常連さんを待つコーヒーカードは、今日もここで時を刻み続けています。
人の歴史を知れば、その街が見えてくるかもしれません。
なお本連載のライターを務めるのは、都留文科大学の渡邊麗桜奈さん。
これまでに、〈ふじよしだ定住促進センター〉のインターンとして、
地域プロジェクトに携わりながら、写真撮影や企画運営を行い、
「この街の人のことを、地元を離れた友だちにも届けたい」
という想いで連載をスタートしました。
20代の目に映るこの街の魅力を、お届けしていきます。