馬場 亮河

2025.09.09

ババイズム「イベント・アーカイブ①:富士登山競走のバックヤード」

こんにちは。アーキビストの馬場と申します。

今回は「アーキビスト」らしく、富士吉田市で行われたイベントを記録したシリーズの第一回になります。
記念すべき初回は、今年で78回目を迎える「日本一の山岳レース:富士登山競走」の記録になります。
実際に私がイベントスタッフとして参加させていただいた体験を元に記録を書く、いわゆる「参与観察」としてまとめました。

富士吉田が市制を開始した1951年(昭和26年)から今年で75年目ですが、それよりも前から続く市の一大イベントの裏側を覗いてみてください。

・・・
7月1日に開山式を迎え、今年も富士山は人々に開かれた。

地元のある人は言う。
「富士山は信仰の山だから、登るのはけしからん。」

ご最もであるが、明治以降に近代登山の考え方が輸入されてから、人々は山に対して生活資源を調達する目的や信仰の目的としてだけではなく、文化的でレクリエーショナルなものとして楽しみ始めたのも確かだ。

富士登山が富士山を楽しむ唯一の方法ではないと思うが、入山が富士講の信者や僧侶のみに限られており、女性や一般庶民は富士山に入れなかった時代のことを考えると、近代登山概念は人々に富士山を解放した民主的な動きだったとも言える。

色々ある富士山の楽しみ方の中で個人的に最も異端だと感じるのが、この富士登山競走である。
富士登山競走は富士吉田市役所からスタートし、吉田登山道を経由した後、富士山頂を目指す21キロコースと、富士山五合目を目指す15キロコースの二つがある。

正直私の理解が及ばないほど過酷であるが、大会要項のWebページには「この山の頂には過酷に挑む価値がある」と断言されていた。
私がイベントのスタッフとして手伝わないかと市役所の方に誘われたのは、大会当日である7月25日からちょうど1ヶ月前頃だった。

大会は市役所職員が総出で関わっており、役所内は1週間前からソワソワし始めて仕事にならないそうだ。
誘いを受けた時にまず最初に確認されたのは「当日の集合が朝の4時だけど起きれるか」と言うことだった。不安だった。

私はイベントスタッフとして荷物係を担当することになった。
荷物係とは世界中から集まる3776人(富士山の標高と同じ)のランナーが預ける荷物を管理する係である。
私以外に10名ほどの市役所職員で構成されており、他はほとんど高校生や看護学生などのスタッフによってマンパワーが賄われる。
大会当日の前日に集合し、準備が始まった。

この日は軽い準備だけだと聞いており、実際軽い準備だった。
荷物を管理する袋に番号札をつけて、整理した。

チームの職員は、前々から休憩時にみんなで飲むことになっていた「フラペチーノ」を楽しみにしていた。
大量のフラペチーノが入った袋を抱えた職員の1人が「いつ飲みますか?」とやや興奮して聞いたところ、
「今ペチーノ!」
と先輩職員が答えていた様子をみて、登山競走がランナーだけではなく市役所職員のためにあるイベントでもあることを知った。

そして大会当日。
予定通り朝の4時15分に市役所に集合した。

市役所職員特有の超元気な「おはようございます!」から始まり、早朝の空気と同じくらい澄んだ、フレッシュな気持ちで仕事が始まった。
「昨晩は8時くらいに布団に入ったのに、3時まで一睡もできなかったわ〜。」
それは緊張や不安などネガティブな気持ちから来るもなのか、楽しみだからなのか一瞬考えたが、笑顔でそれを口にした職員の方を見たら、それが後者であることは間違いなかった。

何だか懐かしい気持ちになった。
おそらく、運動会や遠足の時の気持ちが追憶されたのだと思う。

作業は早速始まり、トラック5台に荷物を入れるための袋が運び出された。
丁寧にラベルを張り出し、荷物の管理と整理に向けて準備が整った。
しばらくすると、健康的に焼けた肌の地元高校生ボランティアたちがゾロゾロと市役所駐車場に集まってきた。
少しずつ日が出てきて、人も集まってきた。

「日が出てきて、元気出てきたー!」
と市役所職員の方が叫ぶと、不思議と自分も元気が出てきた。
市役所職員は周りを元気にするような人たちが多い。

荷物管理チームには市役所職員と高校生、看護学生ボランティア以外にも荷物を富士山の五合目まで運ぶトラックの運転手や、ヤマト運輸のドライバーが関わっていた。

当日運営スタッフが談話をしながら待機している。
中には屈伸をして労働に備える人もいた。

一方で、隙を見て仮眠をする人もいた。

そうしているうちに後援のボランティアスタッフが続々と会場入りし始めた。
サッカー部の高校生たちは朝練で慣れているのか、早朝にも関わらず和気藹々と荷物をトラックの中に積み始めた。
「はいよー!」とか「よいショー!」とか掛け声と共に荷物がトラックの中に積まれていく。

袋がどんどん膨らんでいく。
人もどんどん増えてきて、朝もどんどん明けていく。

カラフルなランナーたちが市役所の駐車場に大勢集まって、喜びに満ちた集団が形成された。
まさに運動会のようなエキサイティングな雰囲気だった。

しかし、ランナーたちの顔はどこか真剣な眼差しを持っていた。

6時頃になると、荷物係のチームは車で富士山の五合目に向かった。
回収し終わった荷物もトラックに積み込まれ、五合目に向かう。
スバルラインの道中で、乗せてもらった車に同席していた市役所職員の方たちが話していた。
ちょうど大会の1週間前に参院選があり、40時間働きっぱなしで登山競走を迎えたそうだ。
その上、息子の誕生日パーティを企画したりして「身体がバキバキだ」と言っていた。
実は市役所職員も登山競走に参加するランナーくらいカロリーを消費しているのかもしれない、、、。

富士山五合目に到着した。
恥ずかしながら、私にとっては初めての五合目だった。
「富士山は信仰の山だから、登るのはけしからん。」
という地元の声に頷きつつ、それを言い訳に登るのを躊躇っていた。

しかし、五合目からの景色は素晴らしいものだった。

景色にうっとりしている間もなく、ピンクのゼッケンを来たボランティアの看護学生たちが40人ほど列になって到着した。
それに続くようにしてトラックが次々と入ってきた。

市役所職員と看護学生たちがお互いに元気に挨拶を交わすと、去年も手伝いに来た2年生の学生と去年も荷物係を担当した市役所職員とが再会するイベントなどが発生した。

トラックが到着すると、看護学生たちは飛びかかるように荷物を運び下ろし始めた。
やはり若い学生たちは機動力がある。
4人がかりで大きな袋を運び出し、事前に敷いたブルーシートの上に合計1700個ある荷物を一つずつ番号順に並べる作業が始まった。

大きな袋は大変重く、4人がかりでやっと中の荷物を出すことができた。
最も効率よく中身を出す方法が、袋をひっくり返して上に引っ張ることで中の荷物を出すことだった。

ある時看護学生の女性4人組が、大きな袋から出てくる荷物に対して、
「もうちょっとですお母さん、頑張って!」
と叫んだ。何かと思ったが、荷物が袋からでた瞬間、
「おめでとうございます!元気な男の子です!」
と言っているのを聞いて、袋から荷物を出すのを出産に見立てていることに気づいた。

さすが、ジョークも看護という専門分野の範囲内。
そんなこと言ったら、助産師ではないから違う、と怒られそうだが。

大量の荷物は、大勢の学生と元気な市役所職員たちによって次々と番号順に並べられた。

大体、市役所職員が指揮をとって番号を言っていくと、次々と学生たちが荷物の山から番号の付いた袋を探し出して並べていく。
慣れてくると、一足先に次の番号列を作り始めるなど効率的に手際よく荷物が整理された。

エンドレスに思い始めた時でも、市役所職員の方達が事前に用意したお菓子を看護学生に配ったりして、元気なエネルギーを絶やさなかった。

ランナーが長距離走を走るように、荷物係のスタッフも長距離戦。
だからこそ、このような気遣いがとっても重要な役割を果たす。

数時間かけてやっと綺麗に荷物が整理された。
トラックが途中で別の場所に行ってしまうというトラブルはあったものの、なんとかランナーが帰ってくるまでに荷物の整理が間に合った。

荷物整理の途中で交代で昼休憩を挟んだ。
休憩中に若い市役所職員と看護学生たちが話していた。
どうやら、同じ河口湖高校出身同士らしく3つしか年が離れていないため、地元トークで盛り上がっているようだ。
あの先生が生徒と結婚した話とか、あの先生のモノマネとか、大変盛り上がった。

隣では自衛隊の方達も給水場を設置していた。

本当に地域全体が一丸となって行われるイベントなのである!

次々とゴールしてくるランナーたちの番号をメガフォンで伝え、荷物を検索してから手渡す。
「お疲れ様でした!」
「また来年もお待ちしています!」

と元気に荷物を渡す学生に対して、
「もっと可愛く!愛嬌を持って!」と茶々をいれる市役所職員たち。

楽しく元気に仕事をしている様子がランナーたちにも伝わり、自然と笑顔で帰って行った。
数時間この作業が続き、その間に何回も天気が変わったが、市役所職員と看護学生たちは変わらず元気なエネルギーを保ち続けた。
作業の合間にお話をしたりして、その時間を楽しく過ごしているのが印象的だった。
荷物が少なくなっていくにつれ終わりが見えてくると、市役所職員たちによる一発ギャグが発生したり、看護学生たちが特定の荷物の番号を管理するゲームが始まったりした。

話は転じて、「明日の市制祭り来る?」という話になった。
看護学生たちも地元が多いし、市役所職員はオフで市制祭に行くそうだ。
「またそこで会おう!」と軽く約束して、「遭遇したら奢ってくださいね!」という一方的な約束もして、荷物が数十個程度になる頃には看護学生は帰って行った。
14時前後だった。

こうして富士登山競走の荷物係は最後の数人のランナーに荷物を渡し終え、任務を完了した。

荷物をまとめて五合目から下り、市役所で解散した。
荷物係は楽ではなかった。
早朝から重労働で始まり、4桁の数字を何時間にも渡って口にしたり探したり、、、。
過酷といえば過酷だった。

でも確かに大会要項のWebページにあるように、「挑む価値がある」。
それは異なる部署の市役所職員たちが一丸となって絆を深めることかもしれないし、看護学生たちと一緒に笑って過ごすことかもしれないし、翌日の市制祭で交わす一杯かもしれない。

富士登山競走にはランナー以外にも、富士山で汗水垂らしながら戦っている人たちがいた。

2025年7月25日

・・・

今回は、富士吉田市の一大イベントの知られざる裏側を覗き見してみました。
私にとっては、街のイベントがたくさんの人々による汗と笑いによって作られているのを実感する機会でした。

今後も「イベント・アーカイブ」では、様々なイベントの裏側に注目した記事を発信していこうと思います!
それではまた次回お会いしましょう!

記事一覧へ

馬場 亮河

富士吉田市地域おこし協力隊/東京大学大学院生

出生地
コロンビア

プロフィール
大学のフィールドワークではじめて富士吉田市を訪れる。その後、大学連携のプロジェクトやHOSTEL SARUYAでの住み込みインターン、東京との二拠点居住の経験を経て2024年3月から地域おこし協力隊に着任。「アーカイブ」をテーマに地域の生活を記録・発信・研究するべく、フィールドワークに励む。

Contact

お問合せ

ご依頼やご相談については、お電話・お問い合わせフォームより
お気軽にお問合せください。

allright reserved youfujiyoshida 2024