馬場 亮河

2025.07.29

ババイズム「フジ・アーカイブ①」

こんにちは。アーキビストの馬場と申します。
前回に引き続き、今回も自分自身のことについて書かせてください。
ところで、冒頭に僕は自分自身を「アーキビスト」と称したのですが、果たして「アーキビスト」とは何をする人なのでしょうか?
今回は、僕が富士吉田市で取り組んでいる「アーカイブ」活動についてご紹介したいと思います。

アーカイブ(Archive)とは、もともと古代アテネの時代に存在した公文書館を指す言葉だったらしく、その場所には取引の証拠としての文書が保管され、市民に公開することを前提に蓄積されていたそうです。

「Archive」の語幹である「Arch」とは、「始原」や「最初のもの」という意味と、「支配」や「権力」という意味が含まれており、「アーカイブArchive」とはすなわち権力の所在を示すために残された証拠を意味します。

つまり、市民同士で過去の事実について相違があった際に揉め事にならないよう、支配的な存在として証拠となる記録の蓄積なのです。

「支配」や「権力」という言葉を聞くとあまりイメージがよくありませんね。
ひょっとしたら権力=暴力と捉えることもできてしまいます。しかし、安心してください。

近年注目されている「コミュニティ・アーカイブ」と呼ばれる市民参加型の取り組みは、地域の人々によって作り上げられた地域のための記録活動です。

具体的には、地域の現場をレポートする形で記録したり、地域住民への聞き取りや古写真・映像フィルムを収集・整理して公開することで記憶を継承する取り組みを指します。また、国立国会図書館が2016年から公開が始まった「国立国会図書館デジタルコレクション」の取り組みは、所蔵している書物が劣化してしまい、書物としての価値を維持できなくなることに対して、書物をデジタル化することでネット空間に保管先を移行するプロジェクトです。それだけではなく、東京の永田町でしか閲覧できなかった書物が時空を越えて、どこからでもアクセスできるようになりました。こうした「デジタル・アーカイブ」の取り組みは時間や物理的な制限を越えた新しい取り組みなのです。

それでは、「アーカイブ活動」とは一体何なのでしょうか?

現段階で「フジ・アーカイブ」と名付けられたプロジェクトは、富士吉田市に関する記録を保存・管理・公開するプロジェクトです。これは市民の皆様を始め、専門家やアーティストなど様々な人が参加し、富士吉田市の過去・現在の記憶を価値として捉え、発信し続けます。取り組みとしては、地域にまつわる写真や映像、書物などを対象に、地域の記憶を取材・記録しています。

このプロジェクトは、変化がめまぐるしい現代で「将来この町に生まれる子供たちに何を残したいだろう?」「過去の記録が今の私たちの心を動かすように、私たちが生活した記録はこの町の意味を再認識させてくれるのではないだろうか?」という問いと仮説から出発しています。私たちが普段見ている景色に宿る小さな瞬間が、時間を経て誰かに伝わる。はたまた場所を越えて誰かに届く。

そのときのために、記録・公開する。そういう歴史の紡ぎ方を模索するのが、「フジ・アーカイブ」の目指す姿なのです。

これまでに、写真のデジタルアーカイブを格納したウェブサイトFUJI ARCHIVES(http://fuji-archives.com)を構築したり、写真に紐付ける形で地域の方々を訪ね、昔の話を尋ねてテキストの形で残したりしています。

【FUJI ARCHIVESのフロントページ:年代や写真の裏話が格納されています。】

他にも富士吉田を訪れた映像作家と協力し合って、小明見地域から消えてしまいそうな伝統舞踊の神楽(獅子舞)を記録し、映像作品としてアウトプットする活動を行ったり、富士吉田市に連なる低山の民俗について調べたり聞いたりしてエコツーリズムを促進するフリーペーパーなどを発行しました。

地域の方々から昔の話を聞いたりする場づくりや展示会なども行っています。

【地域の民話や民謡を教えてもらった時の様子】

【小明見神楽を映像で記録し、観やすい作品に落とし込むプロジェクト】

【地域の写真を展示して、写真についての小話を集める展示会】

さて、ここまで読まれた方は「アーカイブ活動は地域の歴史を記録する活動ね!」と思われているのではないでしょうか。

では次に「この活動が考古学者とか学芸員の仕事と何が違うの?」という疑問が出てくると思います。非常にいい疑問点で、実は僕もその答えを模索している段階なのです。しかし、現段階で仮説的に言葉にできるその違いとは、考古学者や学芸員が過去の出来事にラベル付けをして未来に遺産として引き渡すのに対して、富士吉田市のアーカイブ活動は「地域のより身近な出来事(生活史やライフヒストリーなど)の記録が開かれる」ことで、自分自身と照らし合わせて考えることができるということです。

それは歴史を情報として知るということよりも、より感情に訴えかけて自分と場所との対話を促すものであるべきだと思います。「アーカイブ」という言葉には冒頭でも述べたように、過去の出来事を遺産として整理して貯蓄しておくという冷凍保存のような考え方が根付いています。

しかし、富士吉田市のアーカイブ活動はより、歴史を過去や未来という軸で考えず、「活性化するもの」として捉えることで、意義が顕になってくるのだと考えます。生き物と出くわしたように、地域の景観や人々から見えてくるヴェナキュラーな(その土地に根差した)生活文化や習慣、物語に思いを馳せ、付き合っていくことで地域に根差した価値観や倫理観、哲学が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

人類学者のティム・インゴルドは『世代とは何か』(2024)という本の中で、「アーカイブ」に替わる新たな視点「アナーカイブ」について説明をしています。

「アーカイブ」が回顧的であり不活発であるのに対して「アナーカイブ」は「活性化したり、方向づけをしたりする。あるいは、それは常にすでに活性化しようとして、方向づけようとしている」(p.70)そうです。

【歴史観の違いを示したイメージ図(『世代とは何か』(2024)ティム・インゴルド p.66参照)】

インゴルドはマレー半島の熱帯林に住む先住民バテッを例に出し、彼らが住む思い出溢れる森を歩くときに、亡くなった人びとを「懐かしむ」習慣を「アナーカイブ」の考え方に当てはめています。バテッの人びとは森の小道を指して「昔の人びとはそこを歩いていた」と言い、死んだ古老を懐かしむそうです。

それは追いつくことも追い抜くこともできない古老に「憧れるlonging」ということで、自分たちの生活世界に「馴染むbelonging」ことなのです。その過程で人は、未来に向かうことも過去に向かうこともなく、今この瞬間や日々の営みに気遣いと注意を向け、生活や経験の持続を丁寧に感じ取りながら生きようとする姿勢なのはないでしょうか。

個人的にはこのような歴史観は、「知ってるからすごい」「知らないからすごくない」という分断ではなく、今の生活や自分の経験に向き合うことで心から地域を考えさせてくれるのだと思います。

単に世代や歴史的時代区分を軸に地域を見るのではなく、人びとが共に生き、共に歩み、経験を継承し合う関係性の中にあるものとして見ていくことが富士吉田市のアーカイブ活動が目指す地域づくりなのです。

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馬場 亮河

富士吉田市地域おこし協力隊/東京大学大学院生

出生地
コロンビア

プロフィール
大学のフィールドワークではじめて富士吉田市を訪れる。その後、大学連携のプロジェクトやHOSTEL SARUYAでの住み込みインターン、東京との二拠点居住の経験を経て2024年3月から地域おこし協力隊に着任。「アーカイブ」をテーマに地域の生活を記録・発信・研究するべく、フィールドワークに励む。

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