はじめまして。ふじよしだ定住促進センター代表理事の滝口伸一と申します。いつも富士吉田市に寄り添っていただき誠にありがとうございます。
僕にもなにかできることないかなと思っていますが、本業の工務店や地域活動、そして4人の子育てに追われてしまい、名ばかりの代表です。
僕は大工の長男として富士吉田で生まれ育ちました。今はその工務店を継ぎましたが、20代は東京で映像制作に従事していました。「映画監督になりたーい」とほぼ家出同然でまちを飛び出しました。「困惑」を完璧に表現した親の顔は今でも忘れられません。
自主映画仲間や飲み屋で知り合った業界の方々に拾っていただき、映像制作を通して様々な世界を見聞きすることができました。その中には地方活性化に成功したまちの取材などもあり、今につながるご縁に感謝しています。
(映画監督夢見る二十歳の頃)
帰郷するつもりはなかったのですが、30代前半で体調を崩してしまい、富士吉田にUターンしてきました。恵まれたことに家業がありましたが、地元を捨てた気持ちで東京に居たため、つながりも知り合いも少なく、帰郷当初はとても孤独でした。それでも、何か地域に返したいという思いは強く、「変人でいよう」とも思っていました。
その後、青年会議所や地元の祭りなどに関わりながら少しずつ地域に慣れていきました。特に、生まれたばかりの〈財団法人みんなの貯金箱財団〉(現〈ふじよしだ定住促進センター〉)の仲間たちとの出会いは大きかったです。「やりたいことができるまち」を目指して、まだ新しい取り組みが少なかった富士吉田で想いを描いて一緒に活動することができました。
(財団初期の頃「ハモニカ元気祭り」)
(複合型施設FUJIHIMURO完成時)
それからはシャッター通りの空き店舗を借りてコミュニティカフェを開き、こども食堂や認知症カフェ、様々なサロンを開いたりもしました。また、地域の福祉施設や伝統的な流鏑馬祭りに関わらせていただいていることも大切な日常です。古いと新しいを往復しながら、こどもたちの未来に少しでも何かをつなげたいと思っています。
(毎年参加している流鏑馬祭り)
その中で気付いたことがあります。「富士吉田って子育てしやすいな」ということでした。僕たちにとって富士山が当たり前の景色のように、ずっと富士吉田在住の妻も「そういえばそうね」と。
そうなんです。富士吉田はとても子育てしやすいのです。17歳、10歳、7歳、3歳と微妙に年の離れた子供たちとめっちゃ楽しい日々を過ごせています。これから僕の家族の日々をお伝えできたらと思います。
やりたいことができるまち、子育てが楽しいまち、ふじよしだ。
ふじよしだ定住促進センター 代表理事 滝口伸一