年末年始、これほどゆっくり実家で過ごしたのはいつぶりだろう。
爽やかに晴れた空をぼんやりと眺めながら、車を走らせ、およそ1時間。
南アルプス市にある実家へ到着。父・母と、1年半前から家族になった黒猫が出迎えてくれた。
僕には弟が2人いて、一応は長男。次男は既に結婚して子どもも2人いるし、三男坊は東京で働いているため、今回帰省は自粛するそうな。なので、今年は僕、父、母の3人と猫1匹で年越しである。
元々おしゃべりな僕は、富士吉田市での暮らしのこと、地域おこし協力隊としての活動のこと、はやく家族がほしいとかなんとか、他愛もないことをたくさん話した。
年末年始の特番を一緒に見たり、早い時間から父と乾杯をしたりと、とても穏やかな時間を過ごした(毎朝5時半に黒猫くんに起こされたこと以外は…)。
両親の各実家へ、お墓参りと新年のご挨拶も。
祖父、祖母の中で元気なのは、父方のばあちゃん1人だけ。
ほかの3人は、僕が生きている世界ではもう会えないらしい。
元気といっても、ばあちゃんはもうすぐ90歳。透析治療をしていて、週に3回、1日3時間、管とベットにつながれ、体内の血液を入れ替えている。耳も遠いし、目も悪い。
最近は発作で、身体に痛みがいきなり襲ってくるという。
この日は、ばあちゃんと筆談で話をした。
自分がボロボロなのに、「仕事は順調かい」、「身体は大丈夫かい」、「無理はしていないかい」、「いい人は見つかったかい」、なんてことを聞いてくる。
多くのシワを携えた手が、ゆっくり動く。
達筆すぎて、読むのに一苦労だった。
今回、家族と過ごす中で、いわゆる老いというものを、つらつらと感じとった。
祖母はもちろん、父と母に関しても。
髪の毛や肌の色、動いたり話す速度、姿勢、手のシワや顔のたるみはわかり易い。
より気になったのは、すぐ疲れてしまう身体や精神、外部との関わりの少なさ、日々の生活の中で、幸福感や充実感をどれくらい感じているのだろうか、といったような点だった。
「地域福祉」に興味を持っていなかったら、気がつくことができなかったかもしれない。
あるいは、自分のことばかり考えて、気づかないふりをしていたのか。きっと、後者のような気がする。
“愛情をもって観察をする”ということは、目の前のコト、ヒトから目を背けずに真っ直ぐに見て、その向こう側を考えたり、想像する、ということなんだろうな。
そんな目線が、少しづつ自分の中に芽生えていることを実感して、嬉しさを覚えた、三が日の一幕。