初めまして。
昨年度から富士吉田市地域おこし協力隊に着任しました、馬場亮河(ばばりょうが)と申します。
基本的に周りからは「ばばくん」と呼ばれていますが、たまに「ばびー」と呼ばれています。「ばびー」というあだ名は、僕を苗字で呼びたいけど「ばば」という音に威圧感を訴えた友達が、柔らかさを重視した結果生まれたあだ名です。
今回は、自己紹介を兼ねて私の幼少期についてシェアさせてください。
まずいつも自己紹介をする時にウケるのは、僕がコロンビアで生まれたということです。
両親の転勤が理由で高校入学までに7ヶ国に住んできました。
ずばり、コロンビア、エクアドル、タイ、ハンガリー、アメリカ、インド、そして日本。
これだけ多くの国に住んだことがある人に会ったことが無いのですが、もし読者の方で7ヶ国を越える海外移住経験をお持ちの方がいれば、僕にご一報ください。
西裏に良いバーがあります。
実は、コロンビアとエクアドルでは現地の幼稚園に入れさせてもらい、スペイン語で日々過ごしていたそうです。
最初に覚えた言葉は「Agua(水)」で、次に「Chocolate(チョコレート)」です。
幼少期からチョコを食べさせてもらっていたのは、ちょっと日本の子育て倫理的にはあり得ないですね(笑)。
小学校から中学校に入るくらいまでは、海外の日本人学校で日本人の先生から教育を受けました。
タイのバンコクと、ハンガリーのブダペストで日本人学校へ通ったのですが、バンコクでは駐在の日本人が多かったため、マンモス校でした。
一方でブダペストは日本人が少なく、ひと学年平均で10人程度でした。
バンコクでは大型バスで送り迎えをするほど人数が多く、帰りの会でクラス全員の「さようなら」が建物中に響き渡っていたのを覚えています。
ブダペストの日本人学校くらい少人数だと1人と付き合う時間が長いため、みんな家族ぐるみで仲良しでした。今でも毎年同窓会が行われています。
日本人学校とはいえ学校で働く警備の方や通学バスの運転手さんはハンガリー人だったのが印象的です。よく覚えているのは、警備の方が子供達を叱るとき、自分の手の平を頭に乗せてから軽くゲンコツをすることで痛みを和らげていたことです。また、バスの運転手さんは僕がバスで寝違えて足がしびれてしまったのを、言葉もわからないのに察してくれてマッサージしてくれたこともありました。
その後、大田区の公立小学校に1年間だけ通いました。
初めて住む日本は、カルチャーショックでした。初めての集団登下校、初めての給食、初めての学童、、。
特に印象的だったのは夏休みに子供達だけでお祭りに行かせてもらったことです。汗だくになりながらいつもの道に並ぶ屋台をいつもより早歩きで友達と回り、クラスの女子と合流するといつもよりみんな声を張って喋り出していたのをよく覚えています。

↑ハンガリー時代(小学生)
…と、今回の記事はここまで。
次回は僕の中学時代から、現在までを振り返ります。
続きをお楽しみに。