ボクが月刊雑誌の編集者をしていた30代の頃の話だ。
イラストを受け取るためにみうらじゅんさんを訪ねた時のこと。
みうら:「キミはどこに住んでいるの?」
ボク:「吉祥寺です! その前は、高円寺で、そのさらに前は新宿でした」
みうら:「おっ、いいね、どんどんインドに近づいてるね」
ボク:「はぁ」
みうら:「中央線はね、インドにつながっているんだよ」
遠くの空を見るような眼差しで語った。
そういえば、中央線沿線はどこも混沌として個性的、どこかインドっぽい(インドには行ったことがないので勝手な想像だが)と思う。
そんな話をすっかり忘れていて、数年後に今度は、画家の横尾忠則さんのアトリエを訪れた時にまた同じことを言われた。
横尾:「中央線、いいよね。そうインドへね、ボクも富士山の麓に夏のアトリエがあるよ」
この頃、まだ昭和だったかな。色々聴き歩くと、多くの文化人が中央線の先のさらに先にインドがあるんだよとこぞって言っていた時代だった。
こうなったら徹底的に中央線を知りたくなった。
長野の方に繋がっていることは知っているが、果たしてインドは何処へ。
吉祥寺から高尾行きに乗って、高尾で乗り換えた。とりあえず、さらに西を目指した。
やがて、鳥沢、猿橋、「おっ、鳥と猿が出た。あと犬とキジがいたら桃太郎だな」と勝手に想像する。
大月で下車したら、「桃太郎伝説の町」というチラシが置いてあった。
「やっぱりね」
一人でニンマリした。
地図を見ると「犬目宿」が見つかった。
しかし、まだ「キジ」は見つかっていない。
さて、ここで線路は二手に分かれている。
路線地図を見ながらどっちにしようか迷う。
もしボクが本当にインドに行ったとしたら、やはり南インドを目指すだろう。ということであれば、南側に位置する富士山方面に行ってみよう。
そもそも関西人であるボクにとって富士山はあまりにも遠くて神々しい存在だった。
だから、近くで見てみたかった。
緩やかにカーヴを登って行く富士急行線、緩い感じでワクワク感が増す。
車掌が揺れる車内をフラフラとやって来て切符を売って、その場で切ってくれた。
「おぉ〜、インドっぽい!」
やがて車窓いっぱいの富士山が見えてきた。
頭の中の想像を遥かに超えた大きさが迫ってきた。
「すげ〜、ビッグ・フジヤマ、ブラボー」
富士山に一番近そうな富士吉田駅(今は富士山駅と改名)で降りた。
さて、散策して見るかと駅を出ると、小さな公園があった。
なんとそこに巨大なハリボテの恵比寿・大黒が鎮座していた。
「なんだ、こりゃ、ずいぶんひょうきんな表情をした恵比寿大黒だな」
後にこのハリボテが何なのかがわかって驚いた。(この話は別の機会にね)
大きな鳥居から見える街並みと富士山が心に響いた。
駅に戻った。
当時はイトーヨーカ堂のショッピングセンターがここにあった。
最上階の居酒屋街に行って、まずは、ビールで今日の感動に乾杯!
駅で聞くと高速バスというのもあることがわかり、「やっぱりインドはバスだろ」と揺られながら帰路についた。
これがボクの初インド体験、あっ、違った富士吉田体験。
次回は、どうしてこの街に住むことになったのかについて語りたいと思う。