FUJIYOSHIDA DIARY MAGAZINE

土地・環境

宮﨑 博

2023.10.11

富士吉田知ル知ル7「昭和の街を歩いてみたら その3 簡単に国際交流できた!」

全国に昭和の雰囲気を残した街は多々あれども、ここまでリアルに現存しているのは富士吉田以外にないだろう。それも広範囲に、さびれているようでもちゃんと都市としての機能は稼働している。

今回はメインの本町通りと西裏の路地を歩いてみた。

雉丸 作 *富士吉田本町通り



本町通りは下吉田の駅辺りから富士山に向かってまっすぐに伸びる富士吉田の動脈だ。

富士山に近い方にまっすぐ登っていくと江戸時代に栄えた御師の家が立ち並び富士講の中心地となった通りである。

この通り、見事に富士山を拝みながら歩く事ができる。富士山にはまっすぐだが、北口本宮冨士浅間神社に向かっているわけではない。おそらく、富士山を御神体とした古代人が川と川の間を富士山に向かって歩いていて、それが獣道となってやがて街道となったに違いない。

北口本宮冨士浅間神社に直線で向かっていないと言うことは、神社の方が通りよりも新しく作られたことを物語っている。

日本の古代の人は、聖域である神社やスポットに直接魔物が入ってこないように錯覚を起こさせる様に仕掛けを作ったことから通りや街づくりが始まった。

だから、北口本宮冨士浅間神社の鳥居に真正面に道がならないように神社を設置する時にずらしたということか。

しかし、本町通りは直線で伸ばしていくと見事に富士山の頂上に到達して、そこには神社の奥社がある。(グーグルマップで見てもらうとよくわかる)

ということは、この通りは御神体である富士山に人だけでなく魔物も誘い込んで全てを浄化してもらおうという意味合いも、「あったのかもしれないし、なかったのかもしれない」。(何処かでこの様な表現をした人がいたなあ!)

単純に古代人は、富士山を目指しただけかもしれない。



それはさておき、この昭和の象徴ストリート、本町通りが今、世界中で注目されている。

本町通り2丁目の交差点は交通渋滞を起こすほどのインバウンドの人たち。

一体何をしているのかというと昭和の街並み越しの富士山をバックに記念写真を撮っているということだ。通りの建物が写真のフレームになることで富士山がより近く、大きく見えるスポットを誰かが見つけたわけだ。

実際に歩いてみると。

おおっと、これは確かにいいロケーションだ。と、ボクもインバウンドに混じって自撮りしてみた。周りの人たちもみんな楽しそう〜。

一緒になって信号が青の間の僅かな時間を共有することで何だか盛り上がる。

「ブラボ〜」と叫ぶ欧米人に笑顔で返すアジア人たち。

「おお、こんなところで国際交流ができてるんや」

ボクは「いいでしょ〜」とインバウンドさん達に声がけして、ひとり国際交流してきた。ここは簡単に国際人になれるスポットなんだね。学生さんはどんどん交流して世界に友達を作るといいと思うよ。

では、「Youはなぜここで撮影を?」と聞きたくなった。

いくら景色が幻想的でステキと言っても、こんなにも多くの人がこの場所に集うには理由があるはずだ。

香港から来たという女の子に聞いてみたら、中華圏に「小紅書(RED)」(※中国版Instagramのようなもの)というSNSがあって、そこで「#fujisan」の検索をすると、この場所と、忠霊塔と富士山、河口湖駅前のローソンと富士山が人気スポットの3強だという。

「#fujisan」の3強の内2つが富士吉田って凄いことだと思った。

その辺りを歩いていると、インバウンドの中に、どう見てもプロのカメラマンとモデルとスタッフといった一団を見かける事がある。日本の古い風景とビビットな衣装を纏ったモデルさん達。煤けた風景だからモデルが光って見える、そして雄大な富士山。

「確かに、海外の雑誌やWeb媒体が見逃さないロケーションだな」

ボクにも同じような体験があった事を思い出した。

「ドリブ」という雑誌で写真家の篠山紀信さんの担当編集であった頃、モデルさんを引き立てるためにトーンの違うちょっとシックな背景を持つロケーションをひたすら探していた事があった。

廃墟になった工場跡やトタンの壁などをひたすら探して篠山さんに「ここどうでしょうか?」と提案していた。あの頃、富士吉田を知っていればな〜。

そんなロケーションだから海外の媒体も見逃さないわけだ。



ちょうど、韓国のファッション誌が撮影していた

この交差点から本町通りを富士山に向かって歩いてみた。

「でた! しょうわ〜っていうのが」

マネキン人形です。

「マジすげ〜、目、青いよ。外国人?」

今も現役で学生服を販売しているお店のショーウインドウです。

おそらく、半世紀はそのままの状態で放置されているのではないでしょうか。しかし、今となっては新しいアートのようにさえ見える。

「おいおい、しかもちゃんとポージングしているじゃないか」

まるで魂が宿っているかのような、踊るようなポージング。

「ステキ〜」

マネキン人形は嘉永二年、すなわち1849年にパリで開催された貿易博覧会あたりから登場した当時のショーウインドウのスターだった。その後もたくさん作られた「おフランス製」。

日本では、大正時代に一度ブームになって日本中に立ち並んだ。

フランス語でモデルという意味を持つ「マヌカン」と呼ばれていたが、日本では「招かん」では語呂が悪い、「招く金」ならどうだと言った人がいて、そこから発展して「マネキン」になったという。

何処か大人っぽい。フランス人かな〜

富士吉田コレクション〜

西裏をわずか数百メートル歩いただけで、国際交流もできるし、マネキンも見る事ができる。なんて面白いスペースなのだと感動した。

移住者にとっては驚くほど栄えていた街並みを実際に見たわけではないが、その後の姿を見ることで何だかエネルギーが感じられる。

「今、ここ」だね。

ここにはまだ多くの人たちの生活があり、匂いがあり、温度がある。

次の世代の西裏も試行錯誤しながら育んでいくのだろう。

富士吉田に来たらこの何とも言えない空間である「西裏」をぜひ散策してもらいたい。インバウンドの人だけでなく、日本国内の旅行者も注目のスポットだと言えるだろう。

次回、西裏の昭和アートを探してみようと思う。

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宮﨑 博

編集者・出版プロデューサー

神戸市出身、大手出版社社員を経て20年前に2拠点生活を開始。16年前より富士吉田市に完全移住し、リモート生活を実践。現在、富士山に一番近い出版社の編集統括に就任中。

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