FUJIYOSHIDA DIARY MAGAZINE

土地・環境

宮﨑 博

2023.06.10

富士吉田知ル知ル 2「フジヨシダの情報ポテンシャル高いわ〜」

僕は学生時代から東京で一人暮らしを始めた。やがて結婚したのはいいが長年ため込んだ本やガラクタで荷物がいっぱい。ということで結婚後も吉祥寺辺りに部屋を借りたままにしていた。
ただの倉庫と化した城はほとんど利用しないから家賃がもったいない。
「よし、ちょっと田舎に引っ越して倉庫がわりに使おう」と考えて、中央線をインド方面すなわち山梨側に向かって物件を探し始めた。

国分寺、立川、八王子とどんどん、どんどん奥に向かって行った。そこで気づいたことがある。中央線はなぜか人気で高円寺あたりから八王子まで行ってもそんなに家賃は変わらないということ。ただ、少しづつ広くなるかなぁといった感じだ。
思い切って、前に行った富士山あたりもいいかなと思っていたところに、ピラっと新聞広告が入っていることを奥さんが見つけた。「河口湖のマンション○○万円! 今が買い」というものだった。
「よし、今から見に行こう」とクルマを飛ばしたところ、わずか1時間ほどで河口湖インターに着いた。
「ちかっ!」こんな距離だっけと一瞬驚いた。

見せてもらった物件は、ど真正面にドーンと富士山。一発で「ここだ」と決めた。河口湖の物件といっていたけどマンション名に河口湖が付いているものの住所を見ると「フジヨシダ〜〜」なんか聞き慣れないけど「まあええか」と即決。


その日から僕は「フジヨシダ」なる都市について調べ始めた。この時はまだ移住というよりは別荘といった考え方だった。
出版社に勤めていたこともあって、情報収集が常に必要だった。しかも当時の情報源は結構アナログだった。
地方だと情報収集大変かな?
「田舎だけどテレビ映るの〜?」「ラジオは〜?」「本屋さんあるの〜?」「コンビニは〜?」と都会の生活に欠かせないものを挙げていった。
すると、すごいことがわかった。
僕の母親の実家が長野だったので田舎の雰囲気はわかる。「テレビは3つくらいしか映らない」「ラジオも面白くない」「レコード屋さんもない」「本屋さんもあまりない」「ないないない」が当時の田舎だった。

ところがどっこい、富士吉田ってクルマのラジオは東京と同じまんまで入る。テレビだって東京よりたくさん観られる。「なんだ、なんだ〜ここは」調べると、「首都圏」の枠に入っていた。さらに調べると「関東甲信地方」「中部地方」「甲信越地方」いずれにも該当するという。まさに混沌。やっぱりここはインドだった。
本屋さんもいわゆる郊外型の大型書店がある。
市営の図書館も予想以上に蔵書していて、そこで働く司書さんも驚くほど真面目だ。混み混みの広尾図書館のだらけた感じとは違う。
実際に都内に行くことなく、表参道や新宿などのリアルな情報が毎日簡単に入手できるわけだ。さらにそれに上乗せで山梨ローカルのニュースも観られる。
ここには東京と同じ以上の情報が溢れている。
「すごいぞ、富士吉田」

富士吉田の家に荷物を運び入れ、別荘として暮らせるだけの生活用品は揃えた。
最初は週末だけの優雅な別荘暮らし。
「ああ、楽しい」
美味しい空気は東京とは数段異なり、肺に優しい。
美味しい水は喉越しがキレキレでいくらでも飲める。
「これ、ものすごい贅沢!」

そして、約20年前に本居を富士吉田にして、仕事をするための別荘として逆に都内の渋谷にワンルームを借りた。
家族は富士吉田で僕は渋谷の別荘に平日暮らして、週末に富士吉田に帰ってくるという2拠点生活が始まった。この頃はまだ2拠点生活という言葉さえない時代だ。
この頃は少し地方に行くだけで携帯電話の電波もままならない時代だった。ところが富士吉田はなぜかビンビンだった。

山梨における富士吉田市ってどういう立ち位置なの?
山梨県の人に山梨の街はどこがいい? と問えば、最初が「甲府市」で次が「富士吉田市」という人が多い。実際、甲府市は人口的にも1位で19万人ほどいる。一方、富士吉田市は4万7000人ほどで5位だ。なのに、「富士吉田」は県内ではまあまあ有名だ。
甲府に行って、「富士吉田から来た」と言うと、「国中じゃ甲府が一番だけど、郡内じゃ、富士吉田が一番だろ」と言われる。
「えっ、ク ニ ナ カ 、グ ン ナ イ」
「何それ?」
「クニナカって何?」
「グンナイって何?」
「Good Night?」
全くわからない。ニュアンスとしては全く別の国ぐらいの扱いだ。
どういうことだろう?
簡単に調べてみると、この山梨感覚は江戸時代に遡る。江戸時代、甲府は「甲府藩」、富士吉田は「谷村藩」だった。そういうことか。「藩」が違っていたわけだ。後に「藩」が廃止され富士吉田側は郡制度に取り込まれたことから「国中」「郡内」となった。まだよくわからないが改めて調べてみようと思う。


そして、いよいよ完全移住へ。
約15年前、会社から独立して仕事もフリーになった。もう東京はいいだろう。と渋谷のワンルームを後にした。携帯電話も進化して使い勝手が良くなり、インターネットも徐々ではあるが仕事で使える様になって来た。
移住してからは逆に週に1回、都内へ仕事の打ち合わせのために通った。これがなかなか良かった。主に高速バスを利用したが、指定席なのでゆったり座って新宿に行ける。都内の通勤電車みたいなことはない。バスでは本も読めるし、仕事もできる、もちろん居眠りだって。
もう一つすごいことがある。
僕が全国の「お酢屋さん」や「酒蔵」を1冊にするために取材に行く時にとっても便利だったのが高速バスだった。
東京に出ることなく全国にアクセスできた。
富士吉田からの路線は様々あって、「新宿」「東京」「渋谷」「秋葉原」「成田空港」「東京羽田空港」「多摩」「大宮」「川越」「名古屋」「京都・大阪」「博多」「金沢」……。など季節限定まで入れるとまだまだあった。
「富士吉田ってハブバスターミナル都市やん。やっぱりインド」


日頃は贅沢な富士山生活。
週に1日だけ朝からぎっちり都内の予定を入れて帰りに居酒屋経由で富士吉田に帰ってくる生活。我ながらブラボーだ。
やがて、光回線も充実し、インターネットで仕事はバンバンできるようになった。
僕がじっとしている間に世の中の仕事環境がどんどん整ってきた。
今では当たり前になったzoom会議だが、僕は6年前からやっていた。最初は使い勝手が悪かったが、これもますます進化して今ではサクサク使える。
「こうなったら地方の勝ちでしょ」
ゴールデン街で飲みながら、声を大きくして言っていたら、みんなも「そうだよね、これからは2拠点生活だよね」とあちこちで言い出した。
文化はゴールデン街から始まることを知っていた。声高に何十年も前から言っていたことがやがて現実となり、マスコミは一挙に地方移住生活推しに舵を切り始めた瞬間だった。


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宮﨑 博

編集者・出版プロデューサー

神戸市出身、大手出版社社員を経て20年前に2拠点生活を開始。16年前より富士吉田市に完全移住し、リモート生活を実践。現在、富士山に一番近い出版社の編集統括に就任中。

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