FUJIYOSHIDA DIARY MAGAZINE

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宮﨑 博

2023.09.11

富士吉田知ル知ル6「昭和の街を歩いてみたら その2 上を向いて歩こう」

富士吉田はまさに生きた辞書のように昭和の面影が時を止めて残っている。

いよいよ「西裏(にしうら)」という昭和の聖地に足を踏み入れてみた。今回は西裏の西側を探索した。

月江寺駅を背にまっすぐ緩やかな坂を下って行く。宮川をすぎて1本目を左に入った。その瞬間、いかにも昭和といった風情が飛び込んでくる。閑散としているかと思えば意外と人が歩いていた。多くはアジア系の観光客の女の子たちで、嬉しそうに高級カメラのシャッターを切っていた。

「そうか、海外の人からしたら『おしん』や『男はつらいよ』『東京ラブストーリー』などなど昭和を感じさせるドラマで目にした世界がセットではなく現存しているからより興奮するのだな」

もう廃業してしまったスナックや飲食店の看板がいくつかあった。朽ちかけたトタン家もいくつか点在している。その中でひしめき合いながらまだまだ現役の老舗店舗や新しくできた飲食店がポツポツある。

目を閉じると三味線を抱えた芸者さんたちの忙しそうに歩く姿が浮かぶ。今はカメラを持ったインバウンドの若者が闊歩している。

戦前の日本に対する海外の人たちのイメージは「フジヤマ・ゲイシャ」だった。まさに西裏はこの2強を手に入れた楽園であった。

さて、この西裏がなぜこれほどまでに昭和を感じさせる街並みなのだろうか?

ここからは昭和を探す旅をしてみよう。

通りに入っていきなり見える景色が「ザ・昭和」だった。

昭和の街で面白いのがツギハギだらけのアスファルトだが、この通りは整備されて綺麗な石畳に変身していた。これはおそらく平成時代のものかと思われる。

「しかし〜、ありました『ザ・昭和』。かしがった(傾いた)電柱だー、きた〜。昭和感満載!」

昭和の街に必須なのが個性豊かな建物と電柱、UFO型の街灯が定番。そして、いきなり傾いた電信柱発見!

最近では、国土交通省の指導もあって各地方自治体は電柱を地中に埋める計画が進行中だ。この富士吉田市も電柱を地中化する動きがあるという。実際、御師の家が立ち並ぶ通りはすでに地中化が済んでいる。その町は、室町時代から続く景色を有しているために電柱はないほうが似合うが、西裏は違う。昭和の街には電柱が必須アイテムだからだ。

「これ、とっちゃったらつまんない景色になるで〜」と独り言。

街が醸しているそれぞれの歴史にあったものが全て揃ってこその昭和の街だからだ。

そういえば、インバウンドの方々が、こぞってこの地の電信柱と街並み、富士山を写真に収めている。

新世紀エヴァンゲリオンの生みの親、庵野秀明監督がいつも話しているのが、この電柱のこと。ある時、こういうことを言っていた。

「電柱には必要な物しかついていない。機能美の極みだ」

確かにじっくり見たことのある人は少ないと思う。がしかし、よ〜く見ると個性がある。同じ形状のものがないといっていい。さらに、庵野監督は、

「電柱が無くなったら街に何の魅力もなくなる まるで分かっていない! 電柱は積極的に残すべきだ なくすなら文化遺産として残すか、電柱博物館を作って欲しい」と言っていた。

新世紀エヴァンゲリオンに頻繁にでてくる電柱風景。外国ではこのシーンに萌えるそうだ。


これは僕の個人的な意見だが、西裏地区だけでいいから景観保存の中に電柱も必ず残すということを考えたらいいのではと思う。

例えば、50年後に日本中の全ての電柱がなくなってもここだけは保存されているとしたら、ものすごい遺産になると思う。未来の観光資源がここには眠っていた。

西裏の電柱、なかなかの風格だ。そして昭和の景色。電柱を無くしたら変な景色になりそう〜。


庵野さんに影響されたアニメ作家がこぞって電柱を大切に描いていることを世界にアニメファンは知っていて、それで、西裏からの富士山の写真に電柱を映り込ませているということも知らなくてはならないだろう。

新海誠監督作品『秒速5センチメートル』に見られる電柱群。


この街の新しい発見は意外と上を向いて歩くと見つかりそうだ。ちょっと裏道に入ってみた。

「でた〜〜〜、丸型のUFO外灯。しかもオレンジくんとミドリちゃんではないですか」

これも昭和の象徴の一つ、定番の形とカラーが裏切らないなあ。

昭和の象徴の一つ、丸型外灯もしっかり確認できた。乾杯通りの奥の空間にて。

と、足をすすめてみると、さらにここには昭和の富への憧れの象徴でもある「帝冠建築」がそこここにあるじゃないですか。

帝冠建築とは、日本の伝統的な建築と西洋の建築様式が高度の次元で融合した世界でも珍しい独自の建築物だ。日本の中での代表的なものが、東京国立博物館や九段会館といったもの。西裏の帝冠建築はそれほど立派なものではないが、その姿を真似て造られたのだろう建物がいくつか残っていた。

帝冠建築風の元はBarだった。看板にはアポロと書かれている。近々復刻するという噂がある。
アポロの向かい側にあった巨大なBarと居酒屋、旅館、デザイン事務所を兼ねた複合施設も帝冠建築だった。今は壊されて空き地になっていた。昨年夏までは存在していたが残念!

もう一つかっこいいのがスナックの看板に見る昭和のフォントだ。特に昭和の前半くらいの時代のものが面白い。コンピューターがなかったので街の看板屋さんはみんな新しいフォントを生み出すデザイナーだった。個性的で愛らしい看板が至る所になったわけだ。

そんな文字、特にスナックの看板を探して歩いてみた。

「廃墟だけど看板はかろうじて残っているのが西裏のいいところだな〜。中には現役の店もあるし。探索しがいがある。でたよ〜、スナック看板」

「おいおい、『エアポート(空港)』『愛人』だって、やっぱ昭和。昭和時代のアジアの歌姫テレサ・テンの名曲のタイトルが連打で現れる。これこそ昭和だ。この横丁、テレサ通りって呼んでもいいかもよ」

当時は飛行機に乗ったことのない人がいっぱい。憧れのエアポートってネーミングがいい。
言わずもがなのタイトル。みんなが聴いて歌ったテレサ・テンの名曲『愛人』ということだと思うよ。
火が灯ると紫色が誘うのだろうな〜。大牟田市出身のママでもいたのかな。
ここはサウナの看板。今のサウナブームにもこれぐらいの看板あっても面白いかもね。ここはかつてディスコだったというビル。サウナとディスコどっちが先だったのだろう。
コーヒー&メンズショップって、今風。カフェ併設のアパレルかな。
まだまだたくさんある昭和っぽい看板の店。これはほんの一部。

今回は昭和の街を当時の面影を負いながら巡ってみた。都会から移住してくるとこの街はまさに迷宮。道に迷うことが面白い場所だ。昼と夜の姿も違うこんな街は奥深く楽しい。

富士吉田に訪れたらここをしっかり歩いて自分なりに昭和を想像してみるといいだろう。

まだまだ西裏の本丸には入っていない。次回はそこを探してみたいと思う。

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宮﨑 博

編集者・出版プロデューサー

神戸市出身、大手出版社社員を経て20年前に2拠点生活を開始。16年前より富士吉田市に完全移住し、リモート生活を実践。現在、富士山に一番近い出版社の編集統括に就任中。

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