FUJIYOSHIDA DIARY MAGAZINE

土地・環境

藤崎 仁美

2022.03.29

ハタオリのあるくらし09「振り返り」 

昨年から、「ハタオリのある暮らし」というタイトルで、山梨に移住をしたお話や、ハタオリ職人としての暮らしについて書かせていただいてきました。読んでくださった方、ありがとうございます。

年度末の3月ということで、振り返ってみたいと思います。

ハタオリのお仕事をして、実感として学んだこと

ハタオリの現場で、実感として学んだのは、すべてが大切な工程だということでした。

一見、簡単そうに見える作業も、そのやり方ひとつで、織ったあとの傷になったり、トラブルの原因になったり。どの作業も等しく大事で、神経を行き届かせている必要があります。

一見、糸をただ巻くだけ、のように簡単なように見えても、実はその巻き方がきれいなのか、汚く巻いてしまうのかで、そのときわからなくても織機にかけて織ったときに、自分がしたことの結果が、傷という形で、時間差で表れてきます。

どんな工程にも細部まで責任をもって、「最善のやり方で行うことを心がける大切さと難しさ」を現場で学びました。

地域のハタオリ職人、製造業へのリスペクト

そんなお仕事を何十年もされてきた地域の職人さんたちは、指一本一本の使い方すら無駄がなく美しく、長年のご自身の経験から得た、叡智や経験があることを感じられました。

いい仕事は、細部にまで、神経が行き届いていることを学びました。

また、職人さんたちがどう機械を調整していくのか、トラブルに対処するのかという知恵や熱意や工夫には、尊敬の念を抱きました。

富士吉田市の「先染め・細番手・高密度の織物を織る技術」は、信じられないくらい繊細な作業です。

髪の毛くらい細い糸は、私の気持ちを反映するかのように、ときに素直で、ときに暴れたりして、翻弄されたり。ささくれている手で触るだけでも、糸を傷つけてしまったり。

こんなに細い糸でも、一本切れるだけで、きたない布になってしまう。それを見たときのやるせない気持ち。

そして機械はただただ正直で、なにか問題があれば自然には解決しない。

困って立ち止まっても、また工具を握りなおして動かしていかないと、一歩も進めない。

機械と向き合うことで、万物の動く仕組みを知ったり、人が考えた構造や力学の知恵に関心したりしました。

なにより、現場の人たちが、誰かに知られることもなく、こんなに丁寧に仕事をしていることを知って、その想いが、織物を手にする人へまっすぐ届くことを願うようになりました。

織物に限らず、どんなものも、手に届くまでの過程で、名も知らぬ数多くの人のはたらきがあることに、想いを馳せるようになりました。

当たり前に使っていたものも、機械でつくられていたとしても、その奥には人の存在がいることに感謝したい、現場の作り手の人たちまでが幸せであってほしいなと思うようになりました。

お客さんも、会社も、従業員も、現場の作り手も、皆が幸せでいられるような、「三方四方良し」というビジネスの在り方を目指している人や会社を、これからは消費者として応援していきたいと思うようにもなりました。

学びの機会に感謝

ハタオリのお仕事をしているなかで恵まれていたのは、とても勉強になる機会が開催されていたことです。

〈シケンジョ(山梨県産業技術センター)〉での若手向けの勉強会や、客員講師の方によるセミナーといった専門的な学びの機会があったり、個人でも訪ねれば親切に道具の使い方などを教えてくださったり、とても助かりました。

また、『サンチカンサロン』という他産地との交流会があって、自分たちの在り方を定義して、意義のある取り組みをしている人たちを知ることができたり。

『糸へんの会』といった、繊維関連企業で働く若手が集うためのコミュニティも始まったりと、会社の枠を超えて、産地内の人たちと学べる・参加できる機会もあります。

とくに工場でひとりで勤務していたときには、なにかをインプットしたり、学んだり、誰かと想いや学びを共有することが難しかったので、こういった場所で受け入れてもらえたことも、学べる機会があるのも本当にありがたかったです。

同僚への感謝

個人的な思い出としては、2年前に工場に入ってくれた同僚の仲間の存在にとても支えられました。

仲間の存在やチームワークが大事なのは、どんな仕事でも大事なのは言うまでもないですが、それを実際に実感できた経験でした。

彼女からは、繊維業界のことや織物の設計のこと、たくさんのことを教えてもらえました。また、気持ちも共有しながら、チームとして働く楽しさも感じることができました。

一緒に織物の企画に挑戦できたことも、工場でいちばん楽しかった思い出のハイライトです。彼女には心から、感謝しています。

富士吉田市という場所に、色々な人が集まってきているおかげで、そういった出合いがあったことにも感謝です。

富士吉田市での自然ある暮らし

そんな機織りの仕事の合間には、富士吉田の自然の景色がそばにあり、支えてくれました。

桜が咲くのと一緒に、春の雪を眺めたり、目の前を鮮やかなキジが急ぎ足で走っていくのを目撃したり。

富士山の雪解け模様を眺めて「農鳥だ」と皆が言うのを見てから、その模様ばかりを目で追うようになったり、まわりでも田植えが始まって、田んぼが青々として美しかったり。

梅雨時期は寒くて、ときにストーブをつけることもあるほどだったり。

雷が鳴って梅雨が明けたら、夏の夜空に浮かぶ富士山に、登山者の灯りが灯るのを見て、なんとなく感傷的になってみたり。

火祭りの燃え盛る炎に圧倒されながら、あっという間に去っていく夏を惜しんで、ふと運転中に見える山々が、燃えるように紅葉しているのに見とれたり。

畑いちめん真っ白の雪が積もった上になにかの生き物の足跡を見て、生き物の気配を感じたり、氷点下で、雪はきらきらと輝くのだと知ったり。

仕事の合間に出合った自然の景色は、とても変化に富んでいて、楽しませてくれました。

また、休みの日には、夫と畑をしたり、私は藍をたねから育てて、藍の葉っぱで美しい色を染めたりするのが好きでした。

草木を見ていると、いのちあるものは、純粋でたくましくて美しくて。

こういう、いのちあるものの美しさが、私は大好きなんだなぁと思うようになりました。

こうした、富士吉田市で自然のある暮らしを送ることができたおかげで、私は心から自然や植物が好きだな、いのちあるものと関わっていたいな、という気持ちをより強く感じるようになりました。

そういった想いもあり、諸事情により、この春、退職して機械のハタオリのお仕事を卒業することになりました。

これからも、富士吉田市のハタオリ職人さんたちへの尊敬の念は持ち続けますし、これからは消費者として、微力ながら応援できたらと思います。

これからも富士吉田市には変わらず住み続けるので、この土地での自然を感じる暮らしを大切にしていきたいと思っています。

畑で藍を育て、富士北麓の恵みを感じながらの、植物と親しむ草木染めは、これからも大切に続けていきますし、ハタオリ自体もやめるのではなく、自宅に手織りの機織り機があるので、自分のペースで続けていくつもりです。

機械のハタオリのお仕事からは離れてしまいますが、この私の手は、6年間、1万本の細い糸を触ってきたことを、これからも覚えてくれているでしょう。

そんな6年間の経験を誇りに思うとともに、その経験をできたこと、お世話になった方々への感謝の気持ちも思います。

そしてまた、ハタオリのお仕事のことを忘れないでしょう。

その繊細さを。黙って見守っている人がいることを。切れた糸をつなぐ人がいることを。

見えないところに、見えているものの何倍もの仕事と、想いがあることを。

これからも富士吉田市で、人の想いを乗せて、ハタオリの音が鳴り続けていくことを願っています。

これまで『ハタオリのある暮らし』を読んでいただいて、ありがとうございました。

4月以降は、富士吉田市の暮らしのことをテーマに綴っていけたらと思います。

また読んでいただけると幸いです。

どうぞよろしくお願いします。 

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藤崎 仁美

1989年名古屋市生まれ。大学ではフランス語を専攻。大学在学中、〈フジファブリック〉のイベントのために、はじめて富士吉田へ訪れる。卒業後は愛知県のエンジニアリング会社で総務を経て、社内異動によりNX(3DCAD)の講師を務める。
そのころ、仕事のかたわらで週末京都の学校に半年間通い、草木染めや手織りを体験。染織や自然と親しむ暮らしがしたいと思うようになる。そして、2015年、〈宮下織物株式会社〉へ入社するために富士吉田市へ移住。未経験から、ジャカード織物の機織り職人として6年間勤務し、2022年春に退職。
現在は、染料植物を育てて草木染めをしたり、植物と親しむ暮らしを楽しんでいる。

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