1月のくらし
2025年が明けました。今年のお正月は、空も晴れ渡り、富士山がとても綺麗。おかげで気持ちよい年明けを迎えることができました。
富士吉田といえば、1月から小さなたのしみが増えました。それは、富士吉田がロケ地になって放送されている「ホットスポット」というドラマ。きっと見ている方も多いのではないでしょうか。
私は、家にテレビがないので普段はドラマをあまり見ないのですが、今回はネットで放送されているものを見ています。登場人物の住む町として、富士吉田のあちらこちらが、外観そのままに登場していたり、朝支度をしていると家の中まで聞こえてくる朝7時の富士山の曲のチャイムの音が鳴っていたりと、妙に富士吉田のくらし感満載なドラマで驚いています。
住む私たちにとっては普通の暮らしの景色なので、日常の延長みたいな錯覚を感じるのですが、きっと初めて見る方には、新鮮さだったり、レトロに見えたり、なにか違った印象で目に映るのかもなぁと思ったりもします。
そういえば私も、引っ越してきたばかりのころは、なにかと小さなことも目新しく、富士吉田を面白いなぁと思ったものでした。そんな初心?も思い出させてくれるドラマです。
1月半ばになり、また少し富士山の雪が増えてくると、見えてきたものがあります。
引っ越してきてからずっと知らなかったのですが、昨年、「富士山の中腹に手を振るクマさんが見えるんですよ」と地元の方が教えてくれました。
最初はちょっとよく分からなかったのだけれど・・
こういうことなのだそう。思っていたよりも大きなクマでした。これを知ってから、ついついクマさんを富士山のなかに探してしまうようになりました。
手を振っているのが可愛いです。よかったら、探してみてください。
そんな私の1月は、いろいろと手を動かしはじめた月となりました。
そのひとつめは、地元の名古屋に帰省した際に、絞り染めの学びに行ってきたことです。
私の地元は、愛知県名古屋市緑区の鳴海という地域。鳴海というのは、東海道の宿場町があったところで、その周辺では有松・鳴海絞りといわれる、浴衣などの絞り染めの伝統工芸が江戸時代から有名なところです。
有松・鳴海絞りの存在は知っていたけれど、大人になるまで、具体的に見学などにも行ったことはありませんでしたが、自分の草木染めでも絞り染めをワークショップでしたりすることも増え、伝統的な絞りの技術にも興味が出てきました。
昨年、パリに行って現地の草木染めワークショップに参加したときにも、「shibori」という単語で使われていたり、日本語の有松鳴海絞りの本を大事そうに見せてもらったりして、草木染めは世界中にあるけれど、特に絞りは日本文化のイメージが強いんだなと思ったりしました。
ということで、今回は有松地区にある、有松・鳴海絞りの素敵な会社さんが運営する「Studio Suzusan」という体験施設があるのを見つけ、参加してきました。
こちらでは、5代目の方がドイツを拠点に、伝統的な技法を現代に使うものに生かして、インテリアやアパレルに展開されているそうです。この有松地区には、伝統柄のスーベニアショップと、アパレルショップと、体験施設と、工房があるそうです。今では熟練の職人さんに加えて、若手の技術職のかたもたくさん集まって運営されているようでした。
有松・鳴海絞りは、全体的に草木染めではなく化学染料で染色されている印象が多いですが、たまに藍染めの作家さんもいらっしゃるようでした。今回はくくり台を使っての、伝統的な柄を絞るやり方を教えていただきました。
実家のすぐ近くに、こうして過去から続くものを現代に合うかたちに生かし、日本の美しいものを世に出している人たちがいることにとても感動しました。セール中だったこともあり、お洋服も購入してきました。
わたしは、作業としては化学染料を染めている間の匂いが少し苦手なので、やっぱり自分が染めるなら草木染めの方が好きですが、地元でこうした素敵な取り組みをされていることが嬉しく、これからも楽しみに拝見しつつ、お洋服も着て応援したいと思いました。また帰省の際には学びに行こうと思っています。
(これは展示されていたものです。デザインの型紙と細かい絞り)
そして富士吉田に戻ってきてからは、手織りにも向きあいはじめました。
ずっと家に置いてある高機(たかばた)。鶴の恩返しのような手織りの機織り機です。
2019年くらいに中古のものを購入して少し織ったりしていましたが、なかなか忙しかったり気持ちが向かわず、時が止まったようになっていました。
過去に6年半ほど、富士吉田の織物会社の機械織りの仕事をしていたときには、1万本の髪の毛ほど細い経糸をあつかったり、色々なトラブルシューティングをしてきたのですが、手織りは経験値が少なく、織るまでの準備は不慣れなことも多くて腰が重くなっていましたが、このままでは宝の持ち腐れ。大きくて結構な場所もとる機織り機。
とりあえず機織り機の掃除や調整をはじめていると、棚の奥にしまい込んですっかり忘れていた糸が出てきました。何を思って買ったのかはっきり思い出せないカシミヤの糸。ぷつっと切れたままだった糸をつなぎ直すみたいに、途切れていたものをもう一度気持ち新たにやり直すことにしました。
まずはストールを織ることにしました。色々やり方も忘れているので、うまく布になるかどうかわかりませんが、手は、なにか感覚を思い出しているようです。
作業しているうち、糸が綺麗なのを見ていると楽しくなってきて、腰が重かったのも忘れて、夢中になっていました。動き出すとだんだん楽しくなって、次が見たいという原動力も生まれて来るものだなと気づきました。
今年はこうして、動きながら考えて経験値を増やしていく年にしていけたらいいなと思っています。
こうして、この冬は、絞り染めなどの染めや手織りなど、なにかと手を動かしていくことになりそうです。
1月の草木染め
この1月も、明見湖のはす池体験工房をお借りして、ワークショップを開催しました。
明見湖を見ると、晴れているのにすっかり凍っていました。立ち枯れしている蓮の枯れた茎や実も一緒に凍っています。
いつもは湖のなかを自由に泳いでいたカモが、この日は氷の上をトコトコ小走りして、まだ凍っていない水にぽちゃんと入っていくのを見ました。いよいよ大寒。本格的な冬です。
そんな1月の草木染めとして、日本茜染めワークショップを経験者の方向けに開催しました。
昨年、富士吉田の農家さんで収穫体験させてもらって、いただいてきた日本茜の根っこ。
1キロ10万円するのが相場で(10グラム1000円)、しかもそもそもほとんど販売されていないことが多い希少なもの。
日本茜の記録を調べてみると、吉野ヶ里遺跡から出土したもののなかに、弥生時代の紀元前400年頃のものだとされる絹布があり、研究グループが調べて解析したところ、日本茜が検出されたそうです。今から2400年くらい前のこと。
そしてもっと有名なのは、弥生時代の200~300年ごろ、邪馬台国の卑弥呼が魏の国に贈ったもののなかに日本茜染めの絹布の記述があること。
いまから2000年前の日本で人々がどんな暮らしをしていたのか検討もつきませんが、その同じ日本茜を2000年後もこうして染められていることがすごいことだなと思います。
遠かった古代が急に近くなるというか、人と植物のかかわりの深さや、根源的にかわらないものがあることを感じました。
今回は、その日本茜の根っこを冷凍させておいたものを、根の量に限りがあるので限定人数で染めていきました。
新年というと、子供のときには、新年3日くらいによく、書初めをした記憶があります。
習い事も、ピアノの弾き染めなどと言ったものでした。初稽古も大事。そんな大切な新年の初染めに、日本茜はぴったりだと思いました。
というのも、新年最初の夜明けの空の色のことを、「初茜」というのだそうです。
今では、どちらかというと茜は夕焼けのイメージがありますが、もともとは、奈良時代など和歌のなかでは、太陽などが照り輝き映えるようなものにかかる枕詞として使っていたそうです。
煮出して染めているときの匂いは、根っこらしく土っぽい匂いがしているのですが、染まる色自体は、夜明けの日の出や、マジックアワーの夕空のような、あるいは、頬が染まるような、優しくてやわらかい澄んだ色に染まります。
西洋茜は、染液も血のように濃く、大地に足がついたような頼もしい色が染まりやすい印象ですが、日本茜は天上界や空を思わせるような色が染まるのが印象的です。
それぞれ皆さんにとっての初日の出の色を染めていただけたらと思って開催しました。
とくに今回は、経験者の皆さんということもあり、同じ日本茜から黄色味と赤みがかった違う色味をひとつのストールのなかに染めていただきました。皆さんそれぞれにとても美しい色に染まりました。
草木染めは、自然界の恵みをひとつに染めることなので、ワークショップ中は、この1年が地球にとっても、またそこに住まう私たちにとっても幸多い年となることを願って染めていきました。
時代はいつも移り変わっていくけれど、2000年前の人が当時も布を織り、日本茜で色を染めていたように、根本的なことはきっと変わらない。植物と人のかかわりはこれからも親密に続いていくのではないかなと思います。
今年も植物と人とがつどい、自然の美しい色を分かち合える場と機会を作っていけたらと思っています。
そんなわたしの1月でした。