FUJIYOSHIDA DIARY MAGAZINE

土地・環境

藤崎 仁美

2021.09.23

ハタオリのあるくらし 03 「富士吉田市への移住」

今回は、前回に引き続き、OLだった私が、機織り職人になるために富士吉田市に移住するまでのお話です。

 2014年の夏の終わり
ハタオリの現場へ

この年に私は、〈宮下織物株式会社〉の現社長とはじめてお会いしました。さらに後日あらためて会社見学をさせてもらうことに。ここからハタオリの道が始まります。

はじめてのハタオリの現場。会社は自然豊かな林のなかにありました。
倉庫を見せてもらうと、そこには色とりどりの鮮やかな織物がたくさんありました。

木々に囲まれた自然の景色と、極彩色の織物とのコントラストがとても印象的で、美しい織物にほれぼれしたのを覚えています。

「富士山の水で糸を染めているんだよ。ちなみに水道からも富士山の雪解け水が出るのよ」

と教えてもらい、これまで道中に眺めてきた富士山が、この地域では暮らしにも産業にも密接なのだと感じました。

そして、実際に織っている工場を見学させていただけることに。

民家のように見える工場に入ると、まるでジブリの『ハウルの動く城』のような、大きな機械が、大きな音をたてて布を織っていました。

機械むきだしの織機がどんどん布を織っていくさまに、ただただ圧倒されてしまって、私は何も言葉を発することができず呆然としていました。

そして、そんな織機のそばに、守り神のようにじっと様子を見守る職人のおじいさんがいらっしゃいました。

「布はこうやって、人がだいじに、手をかけ目をかけ、つくられていたんだ」と、はじめて実感した瞬間でした。

脳がいろいろと情報を処理しきれないまま、見学は終わりました。

そうだ、手織りを学ぼう

その日の夜、富士吉田市に一泊し、知恵熱のようになった頭を冷やしました。

そして、「そういえば私は布のことを何も知らなかった、布に興味があるなら手織りのことを学ぼう」と思いたちました。

そのころ、たまたま展示を見たりドキュメンタリーを見て知っていた、草木染め・機織りを通じた芸術学校が京都にあることを思い出し、調べてみると願書締め切りがその翌日に迫っていました。

急いで連絡をとり、入学試験を受けました。結果は、その翌年の4月から半年間、土曜日に授業があるコースに通えることになりました。

学校自体は4月からだったので、この時点から半年ほど待つことになりました。

機械設計の3DCADの講師に

ちょうどそのころ、勤めていた会社内で異動がありました。

当時の上司のひとりが、客先で機械設計の3DCAD講習会の講師を請け負っていたのですが、忙しくなって助手が必要になり、急遽私が手伝うことになりました。そして、ほどなくして、私もメインの講師をつとめることになりました。

もともと私は文系で、総務として入社していたので、まさか自分が客先の工学系のエンジニアの方々の前に立ち、マイクを持ってなにかを教えることになるとは、思ってもみませんでした。


でも、私は、未経験のわりには、図面を見て立体をイメージするような立体的な感覚がもともとあったようで、なんとか理解できたこと、また、講習会でついていけなくなっている受講者をサポートできた時、役に立てたことが嬉しかったこともあり、やりがいを感じるようになっていきました。

なので、機械はとくに好きではなかったけれど、図面のことや3DCADの操作を必死で勉強して短期間で覚えました。そして、どう説明したら、どういう話し方をしたら、より理解してもらえるか試行錯誤しながら、半年後には初級から上級までの講習会をひとりでも担当するようになりました。

まさか、図面で見ていたようなものの実物を工場で見るようになるとは、そのときは思いもよらなかったのですが、今思えばものづくりの環境へと近づいていたのかもしれないなと、不思議な気持ちになります。

 手織りの学校がはじまる

講師としても慣れたころ、新年度が始まり、いよいよ、草木染め・手織りを学ぶ学校がはじまりました。

平日は、セキュリティー万全のオフィスのなかに入り、ひたすら効率や生産性を重視して、パソコンに囲まれながら講師として働く。

その一方で、

土曜日だけは名古屋から京都に通い、ゆっくり草木を煮だして絹糸を染めたり、自然の色の美しさに感動したり。さまざまな年齢の仲間と笑いあったり話しながら、カラカラと糸を巻く手仕事の時間を過ごしたりしていました。

やっと社会人らしくなり、「効率的に振舞えるようになった自分」と、
「自然の色に感嘆して手仕事をする素直な自分」との間をいったりきたりしながら、この先どのように生きていこうか、また考え始めました。

この先どうなるかもわからないまま悩みながらも、糸を染めたり、手織りを体験することで、ますます織物への興味が募っていきました。

機織り職人になる

通っていた教室も後半に入ったころ、富士吉田市に遊びに来ました。
そして、以前見学させてもらったハタヤさん宮下織物株式会社)にも挨拶に立ち寄らせてもらいました。

お会いしていろいろお話しているなかで、「じつは工場を新しくしようと思っていること。職人のおじいさんがご高齢ということもあり、働く人を探していること。よかったらやってみないか」というお話を頂きました。

実際、大きな機械を操作したこともないし、工具の使い方さえも知らないし、織物もちょっと体験したばかりの素人でしたが、

これまで富士吉田市に訪れるたびに自然ゆたかな環境に癒されてきたこと、
教室に通うなかで、もっと自然ゆたかな暮らしがしたいと心底思っていたこと、
そして、美しいものとかかわって仕事をしていたい、という願いを持っていたこと、

それらが織物と重なり、不安よりも興味が勝って、お引き受けしたいとお返事したのでした。

そして宮下織物株式会社に入社することになり、3DCADの講師からハタオリの道へ転身。2015年の11月末、当時富士吉田市にあったシェアハウスに入居するかたちで、富士吉田市に引っ越しました。

こうして、2015年の秋、私は機織り職人としての新しい暮らしを始めることになったのでした。

次回は、実際にハタオリのお仕事とはどんなことをしているのか? についてお伝えしていきます。

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藤崎 仁美

1989年名古屋市生まれ。大学ではフランス語を専攻。大学在学中、〈フジファブリック〉のイベントのために、はじめて富士吉田へ訪れる。卒業後は愛知県のエンジニアリング会社で総務を経て、社内異動によりNX(3DCAD)の講師を務める。
そのころ、仕事のかたわらで週末京都の学校に半年間通い、草木染めや手織りを体験。染織や自然と親しむ暮らしがしたいと思うようになる。そして、2015年、〈宮下織物株式会社〉へ入社するために富士吉田市へ移住。未経験から、ジャカード織物の機織り職人として6年間勤務し、2022年春に退職。
現在は、染料植物を育てて草木染めをしたり、植物と親しむ暮らしを楽しんでいる。

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