8月になりました。
毎年、真夏に咲くカノコユリは、今年も次々に咲いていきました。
小さめのユリながら、ビビットな色が目に鮮やかで、存在感がまぶしいです。
アゲハ蝶がやってきて、こちらのユリ、あちらのユリにとまってはふわりと飛び回っていました。
蝶も嬉しいし、花も来てくれて嬉しい、相思相愛。
ピンクの花と蝶の黄色が夢みたいな色の組み合わせで、見ているこちらまでなんとなく幸せな気持ちになります。
4月からスタートしていた連続4回の基礎講座は、7月末で4回目の最終回を終えて一旦終わりを迎えました。
4回にわたって、富士吉田や河口湖、都留、また富士宮からお忙しい中、足を運んでくださった皆さんのお顔が浮かびます。
この目まぐるしい日常のなかで、4ヶ月間、毎月、草木の周りに集ってくださることが、けして当たり前ではないこと、2025年の春から初夏にかけてともに植物の色を感じられたこと、そのありがたさと恵みを感じます。
そんなことをすこし、振り返ったりもしていました。
そして1か月の休みを終えて、来月9月からは年の後半の基礎講座と、今回はじめて開催する応用講座をスタートするので、その準備もしていました。
今年、応用講座のために家にお迎えしているキバナコスモス。
植物のいのちの色に触れる基礎講座を受けてくださった方向けに、今度は植物のいろかたちを楽しんでいただく応用講座をつくりました。
新しい植物を染めるとともに、色々な方法で柄を染める内容に構成しています。
みなさんに、植物と一緒に創造する時間を楽しんでいただけることを願って、私も楽しみながら準備をしています。
さて、真夏らしいことと言えば、今年も本栖湖の花火を見に行くことができました。
当日は、花火の直前くらいから、大雨と雷が激しかった本栖湖。
雨のなか、中止になるのではと思っていたけれど、豪雨の中でも花火は打ちあがっていきました。
湖上での、花火と、時折光ってゴロゴロ音を鳴らす雷との競演。本栖湖は龍神様の言い伝えがあるので、まるでゴロゴロと龍神様が参加しているよう。
また、大雨だろうとも、皆が待っている花火を打ち上げようという花火師の方々の心意気を、遠くて見えないけれど感じました。
その職人魂と気概、また夏のお盆前の花火がもともと鎮魂のものだということも思い出して、花火は空高く打ち上げる「祈り」なんだなと思うと、
尊いような、泣きそうなような、いろんな気持ちを全部抱き合わせているような、うまく言葉にならない気持ちになったりしました。
闇夜に花火がひらくと、湖面に一瞬、残像のように光の筋ができて、また消えて闇が深くなって静けさが戻る。
そのようすが日本の夏らしいなと思います。
花火を見ているのか、その火が明滅して消えていくところを見ているのか、わからなくなってくる、もののあわれを感じる日本の夏の夜。
富士五湖の花火が終わって、立秋がすぎると、秋らしい日が増えてきました。
トンボがたくさん飛び始めて、夜には秋の虫が鳴いていて。
夏の暑さには熱中症気味で参っていたけれど、このまま夏が過ぎていくことに急に寂しくもなります。
まだまだ猛暑の日もありますが、それでも富士北麓では風の質がちょっと変わったような気がする。まわりに秋の匂いがします。
そんな8月は、明見湖の蓮が満開になりました。
7月末くらいから咲き始めていた蓮の花たち。
早く咲いていたものは、すでに種をつくっていました。
葉っぱの色も種の色も、緑色が綺麗です。こうして見ると、不思議な造形です。
この種がまた湖へと落ちて、来年の花になるのでしょう。
雨の日の明見湖にも行ってみました。
蓮に降った雨粒が葉っぱの上を弾んだり、ころがったり、大きなしずくとひとつになったり。
そして風がふいては水面へ、ぽちゃん、と落ちていきました。
こうして水やよごれをはじいて、濡れない蓮の葉っぱ。そっと触ると、肉厚で、ちょっと起毛生地のような、すごく素敵に撥水されている美しい布のよう。
葉っぱの裏はすべすべ。
この水をはじく葉っぱは、葉の表面のほこりや虫なども雨粒でころころと洗い流してきれいにする、自浄作用があるのだそうです。
だから、まったくの泥のなかでも汚れることがない。
そして茎の真ん中は空洞になっていることによって、まっすぐに太陽に向かってつぼみが長く伸びていく。
深すぎて水深がわからないと聞いたことのある明見湖の泥のなか、蓮は根をはり泥を養分として、一点の汚れも残さずに昇華し、純粋に花を咲かせる。
蓮は、つぼみを開いたり、閉じたりを3日くらい繰り返すと、花びらは完全に散っていくのだそうです。
はっとするような濃いピンク色をしていたつぼみは、空に向かって大きくひらき、まるで光に透けていくような色をして咲いていく。
最後は光になってしまうように散って、種が残る。
そのすがたはとても純粋で綺麗でたくましくて、何度見ても、心に沁み入るものがあります。
蓮の香りもいちめんに漂っていて、蓮の気配をまるごと感じました。
8月の草木染め
さて8月は、わたしにとって、藍の季節です。
毎年、たねとりを繰り返してきた藍たち。こんなに元気に育ってくれて嬉しいです。
いよいよ、染めるのに万全のタイミング。
まずは、自分ひとりで、ちょっと心を高鳴らせながら、今年はじめての藍の染めをしていきました。
はじめは、藍の染液は緑色をしています。
藍の草っぽい香りがしています。
藍は酸素にふれることで色が発色していく珍しい植物。
最初は青汁のようだった染液が、染めているあいだにもすこしずつ青みがかって変化していきます。
藍の染液に手をいれて染めていると、なんだか、地球のはじまりを見ているような気持ちになります。
海がぐるぐると渦巻いて、プランクトンの小さないのちがたくさん生まれていくところのよう。
日頃、藍の染めた色を見ていると、なんだか心が落ち着きます。それはいつか見た海の色のようでもあるし、空の色のようでもあって。
この色を目にするとはっとするのは、もしかしたら古代から人が見てきた自然界の色だからかもしれない。私たちの記憶、あるいはもっと深くDNAのなかに、自然界で見た藍色の記憶があるのかもしれません。
それくらいに、藍の色はわたしたちに馴染む気がする。
後日、ふと気になって地球のはじまりの色について調べてみると、地球のはじまりの海は、緑色だった、という説が有力だということを知りました。
地球でいのちがはじめて生まれるのは海からで、そうして、酸素が生まれて、今の地球へとつながっている。
そのときは、宇宙から見た地球は、本当に緑色の星だったのかもしれないそうです。
藍の染め色も、最初は緑色で、だんだんと酸化していくことで青色になっていきます。
藍の染め色が地球のはじまりみたい、と思ったのもあながち間違ってもなさそうです。
染まっていったのは、心の奥にまで届くような、深くて優しい、藍の色でした。
こうして私の8月の草木染めが始まりました。
そして8月中旬には、藍の生葉染めの単発ワークショップも開催しました。
ワークショップ直前に畑で藍を摘んでいき、茎から葉っぱたちを皆で分けていき、染液をつくっていきます。
皆さんにはお好きなシルクの布を選んでいただいて、それぞれに自由に染めていただきました。
藍の茎や葉っぱに触れて感じてもらったり、葉っぱを味見してくださる方がいたり。
フレッシュないのちの色を流れのままに染めていく時間は、とても楽しく、皆さんの作品も、皆さんの笑顔もそれぞれに素敵で、とても幸せな時間でした。
今から何年も前、1人で種を蒔いて、1人で染めていたときにはなにも想像していなかったけれど、気づくとこうして一緒に喜びあってもらえる人たちと出会えていることがありがたく、あのとき1人でも小さな一歩を踏み出して、よかったなぁと思いました。
どんな風に染まったか、広げていくときの嬉しさや驚きは、いつもフレッシュで、いいなぁと思います。
今回はワークショップ中、藍の草のにおいの話にもなりました。
化学染料とも違って、その植物の香りのなかで染めていくので、染め終わるときには、その前よりも植物のことを少し知っているような、少し仲良くなっていくような気がします。
きっと、どこかで藍が育っているのを目にしたら、「あれっ」と、知り合いに出会ったときのような気分になるかもしれません。
それくらい、草木染めは、五感で感じるものだなと思います。五感で感じたものは、自分の深いところに記憶されるものだとも思います。
見て、触れて、匂いを感じて、ときに味も感じて、なにかを聞き取っていく。
人間としての体験の醍醐味かなぁと思います。
酸素をたくさんあててあげて、きれいに色が染まった作品たちは、風にふかれて青空と一緒にそよいでいてとても綺麗でした。
一緒に藍の時間を過ごしてくださった皆さんに、あらためて心からの感謝を。
そして、ワークショップが終わって、片付けをして、さあ帰ろうという時、夕方にさしかかった明見湖は、朝ともまた違った美しさで、見送ってくれました。
この世ではないような夕方の明見湖はまた綺麗でした。
夏は、いろんな余白に、言葉にならない感覚があらわれる季節だなぁと思います。
こんな私の8月となりました。
短い夏を、心に刻んで過ごしていこうと思います。